橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

天使の叱責

 ちょっと前に、カンニング竹山さん主宰のネット番組『マジガチランキング』が打ち切りになったとの、報道がありましたよね。

 それは、「整形していそうな芸能人」や「枕営業していそうな芸能人」などのきわどいテーマで街の声を聞き、その結果をランキング形式で紹介するという人気番組だったらしいですけれど、竹山さん曰く、次のような理由から、番組が終了へと至ったのだそうです。

 

 

 「すごいところから怒られた。」

 

 

 これですね。

 

 それと同様にといいますか、私もですね、或るすごいところから、ここ何ヶ月間も、ずっと怒られ続けてきたんですよ。

 

 カンニング竹山さんがどこから怒られたかは定かではありませんけど、そこよりももっとすごい方々から、私は怒られてしまったのです。

 

 

 

 

 いちばん偉い方々ですよ。この世界における、ね。

 

 

 

 

 そんなすごい方々から、私はずっと、叱られ続けてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その方々というのは、ズバリ•••

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天使です。

 

 

 

 もしくは神様といってもいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここでいうところの「天使」というのは、

ガチの、正真正銘の天使と、比喩的な意味での天使と、どちらも含んでいます。

 

 正真正銘のほうの天使は、自然の理法そのものを自在に操れる、途轍もない力を持っています。

 

 その力は、人間が神の道に合致するような行為をしたときには、私たちを取り巻く現実をプラスの方向へフィードバックさせ、一方で、それに反するような行為をしたときには、現実をマイナスの方向へフィードバックさせる作用を持ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 天使は、必ず、ご自身が望んでおられる流れへと、私たちを導こうとなさいます。

 

 

 

 

 

 

 

 何がなんでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちは絶対にそれに逆らえません。

 

 

 

 

 

 

 

 天使たちの強制力は、それほどまでに凄まじいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喩えるなら、こんなような話になると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 天使たちが、私を取り囲み、睨みつけた。

 そのうちの一人が中空へ舞い上がるように飛び立ち、私の背後へと回って、地面に降り立ったかと思うと、後ろからこの身体を羽交い締めにした。

 身動きの取れない私の喉元に、もう一人の天使が、鋭い刃物を突きつけてきた。 

 私は、恐怖を感じた。 

 その場から逃げ出したかったけれど、強い力で縛り付けられているため、一歩も動くことができなかった。

 やがて天使は、刃先を私の喉に寸止めしたまま、少しの狂いもない、整った、涼しげな顔を、こちらへ向けてきたのだった。

 

 

 「普通のごはんとサトウのごはん、二つあるうちの、どちらか一つをあなたに与えます。さあ、選びなさい。」

 

 

 私はその真意を図りかねたけれど、震える唇を押し開くようにして声を出し、目の前の天使を見据えた。

 

 

 「じゃ、あの•••、普通のごはんを••••••」

 

 

 天使は、表情を一変させた。

 それはまるで、鬼のような怒りと憎しみと、攻撃心に満ちた恐ろしい形相だった。

 

 

 

 

 「串刺しにしてやろうか!」

 

 

 

 

 瞳を潤ませ、目を泳がせるようにして天井を仰ぎつつ、私は、裏返った、甲高い声を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「さ、さ、さっ•••サトウのごはん、お願いしまぁ~っす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 とまあ、こんなふうな感じで、有無も言わさずに、ご自身の狙い通りの道筋へと、天使は私たちを誘導しようとするのです。

 

 もちろん、普通のごはんが駄目なわけでは決してありません。ただ、天使はときに、そのくらい強引に、物事を確定させようとするということを、ここで言いたかったのです。

 

 

 けっこう、それって、なんか、ワンマン社長とかに似ていると思いませんか?

 

 一代で一大企業を築き上げた創業者社長っぽいところがあるような気がします。

 

 「社長のことを愛せない従業員は、クビだ!」みたいな(笑)。

 

 

 

 天使とか神様って、ご自身のお造りになられたシステムに従わない者たちに対しては、徹底して、愛の鞭を食らわせるようなところが、あるじゃないですか。そう思いません?

 

 私はこの頃、それを強く痛感しています。

 

 

 天使から怒られているのだ、と。

 

 

 それがいわば、ホメオスタシスの作用となって、表われているような気がするのです。私の現状において。

 

 

  「ホメオスタシス」というのは、「恒常性維持機能」のことをいいます。

 たとえば、人間の身体は、体温が適温よりも著しく上昇した場合には、汗をかくことでそれを元の状態へと戻そうとし、逆に、体温が適温よりも著しく下降した場合には体全体を震わせ、細胞と細胞とを擦り合わせることで摩擦熱を生じさせて、よってもって、元の状態へと戻そうとする働きがあります。

 

 それは、自然に、オートマチックに、そうなります。

 

 そのようなバランス維持機能が人体には備わっているのだけれど、それにとどまらず、日常生活や人生全般に亘っても、そうしたフィードバックが規律づけられているように思われるのです。

 

 

 強制的な、ね。

 

 

 それは、この世における、最上位の、普遍的メカニズムといっていいのではないでしょうか。

 

 

 

  自然界にはそのような、帳尻合わせのためのフィードバック機能が備わっており、私たちの人生そのものを、個々の場面において、逐一、確定させていくのです。

 

 だから、たとえば、自身の置かれている現況の中で、自分が何らかの不心得を犯しているとすると、あたかもそれを正当化するかのような、有無も言わさない、強い規定力が働いてしまうのですね、それに対してね。

 

 嘘つきは泥棒の始まり、みたいな感じで、自分が自然の掟から外れた考え方や振る舞いをしていると、そっちがお似合いとばかりに、自分にとって不本意な出来事が次々に起きてしまうのですよ、不思議とね。

 

 私の場合でいうと、それは、やりたい仕事を思うように出来ない、或るいは、会いたい人に会えず、会いたくない人が来ちゃう•••といったようなことが、主なケースであるということになります。

 

 なぜそうなるのかというと、そうならなければバランスが取れないからでありましょう。自然界全体としてみた場合にね。

 

 ここは説明が難しいところでもあるんですけど、(たぶんですけれど)一種の“受給遅滞”、もしくは“受給放棄”の問題であるような気がするのです。

 どういうことかといいますとね。

 

 

  ちょっと比喩的な表現になりますけれど、ここでの問題は、“天使がくれた砂糖菓子”を、賞味期限内に味わわずにいる者は、まるで、始めからそれに無縁の者であるかのような、恵まれない、辛辣な扱いを受けさせられる••••••そのことを示している、というふうに解釈しうるのです。

 

 天の恵みを素直に受け取らない人間は、たとえ実力が「一人前」のレベルに達していたとしても、やがて、まるで生来の「半人前」であるかのごとき低い評価を受けてしまい、その低評価に見合った、不遇生活、不幸人生を送らされる羽目になってしまう、ということなのですね。

 

 なぜなら、そう誤解させるような態度を取ってしまっているからです、天使たちに対して。

 

  でも、本人は、自分の努力不足のせいでそうなっていると思い込んでいるんですよ。だから、“受給遅滞”を犯している現状を放置したまま、今まで以上に、さらなる努力をしようとするのだけれど、皮肉なことに、そうすればそうするほど、現実生活が理想とはかけ離れた方向へ行ってしまうことになるのです。

 

 

 

 

 

 なんか、それ、イヤ~な感じなんですよね。

 

 

 

 惨めな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 自分が自然界や社会から粗末に扱われてしまっているかのような錯覚すら、起きてきてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、そう仕向けたのは、紛れもない、自分自身なのです。

 

 

 天使たちは、それを正当化しただけ。

 

 

 “砂糖菓子”を受け取らない者に対して、受け取らないのが当然であることを示すかのごとき、非情な、ドライなレッテルを貼ったのです。

 

 逆にいえば、“砂糖菓子”を拒否している者に溢れんばかりの幸せを与えてしまったら、天使の面目が丸潰れになってしまうことになります。それは極めてバランスの悪いことであり、自然の理法に背くことになるのです。

 

 おかしいのです。

 

 あり得ないのです。

 

 

 だから、厳しい現実が待ち受けることになるのです。

 

 

 

 

 

  天使が、怒っているのです!

 

 

 

 

 

 私は、その怒りを、解いてしまいたい!

 

 

 

 

 

 では、どうすれば、それが可能になるのでしょうか?

 

 まず、そのためには、現時点で天使が怒っているのか否か、そして、もしそうだとしたらどの程度怒っているのかについて、大まかに(できれば正確に)把握する必要があります。

 

 それを知らせてくれる一つの目安があります。

 

 

 ここから先は、信じたくない人は信じる必要はありません。信じたい人だけ、信じてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その目安とは、エンジェル・ナンバーです。

 

 

 

 

 

 

 「エンジェル・ナンバー」というのは、私たちが普段の暮らしの中で偶然に目にする数字の組み合わせのことを、指します。

 

 たとえば、「4444」や「7777」、「2525」などの、ぞろ目とかコンビネーションといった組み合わせが、そうです。

 

 これらは、神様や天使が、私たちを取り巻く現状もしくは頭の中を支配している考え方などに対して、一定の評価を示してくださった証である、とされています。

 

 それらは、数字の組み合わせ次第で、意味合いが様々に変わってきます。それは私たちにとって、良い内容のものもあれば、悪い内容のものもあります。

 そして、悪い内容のほうの数字を見かけたときこそ、天使たちが怒っているとの、メッセージであると解釈しうるのです。

 

 これらは、あながち、馬鹿にできません。

 

 私も、当初は、この「エンジェル・ナンバー」というものに対して、半信半疑のスタンスに立っていました。

 しかし、1年間くらいに亘り、データをとってみたところ、その日の出来事と記録したナンバーとの間に、そこそこ、相関関係が認められたんですよ。

 

 

 だから、信ずるに値するんだなと、思うようになりました。

 

 

 

 それでですね、ここ半年間くらい、ずっと、私は、悪い意味内容を示すほうのナンバーを、毎日のように、見させられてきたわけです。

 

 けっこう、ショック大きかったですね。

 

 お蔭さまで、過ちに気付いたってのもありますけど。

 

 

 

 それで、つい最近なんですけれど、考え方を改めてみたら、なぜか、そのようなナンバーを見る頻度が少なくなりました。

 

 

 天使の怒りが、やわらいだのかもしれません。

 

 とはいえ、まだ“砂糖菓子”の“受給遅滞”が解消されたわけではないので、怒りが完全になくなったとはいえません。

 それを解くためには、“砂糖菓子”をしっかりと受給する必要があります。

 

 

 

 では、その“砂糖菓子”とか“受給遅滞”ってのは一体何の話なのか、ということについて、そして、「比喩的な意味での天使」のほうについても、記事を改めて、詳しく述べていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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美女ギャラリー

 

 

 

 

 

 

 
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 橋本環奈さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  以上です(笑)。

 

 

 

 

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 本当は、あと40人くらい描こうかと思っていたんですけれど(アイドルさんや女優さん、モデルさんなど)、橋本順一くん、あろうことか、橋本環奈さんを描いた時点で•••••••••力尽きました(笑)。

 

 

 今後、随時、ここに作品を追加していくかもしれませんけれど、まだ、なんとも言えないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が向いたら、また頑張ってみます。

 

 

 

 

 

 さて、じつはこれ、プリンター用紙に描いたんですよ。それも色鉛筆で。

 

 当初は軽い気持ちで(ほんの殴り書きみたいな感じで)描き始めて、気が付いたら、本格的な製作になっていました。

 

 

 

 

 でも、紙がペラッペラの簡素な造りなので、あまり書き直しが出来ませんでした。

 何度も消したり描いたりしていると、紙が擦り切れたり、破れたりしてしまうからです。

 

 

 

 

 

 もっと修正したかったんですけどね。

 

 

 

 

 忙しいし。

 

 

 

 

 

 

 

 まだまだこんなもんじゃないッスよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の腕前がですかって?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやいや、橋本環奈さんの美しさがですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、でも、やっぱり両方が、ですね(笑)。

 

 

 

 

 

 

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「信じる」ということ

 「信じる」ということは一体、どういうことなのでしょうか?

 

 それは、「本質を見抜く」ということだと思います。

 

 一見複雑であるかのようにも見える物事の、本質部分を見極めて、その周辺にある些細な部分に捕らわれ過ぎない、惑わされない、ということなのですね。

 人の気持ちを例に取ると、相手の心というのは、それ自体が「本音」だと見做しうるのだけれど、言葉や態度、行動などに、それがすべて表わされているかといえば、必ずしもそういうわけではなく、「建前」の部分、ポーズの部分として外に出てきている場合もある、ということです。

 ヘタすりゃ嘘をついている可能性だってあります。

 そこまでいかなくても、ハッタリだったり、見栄だったり、駆け引きだったりすることもあります。

 それでですね、こちら側としては、そうした「建前」の部分に惑わされるべきではないのですよ。

 

 大事なことは、相手の「本音」(本当に望んでいること)を見抜く、ってことなのであります。

 

 

 それが、「信じる」ということです。

 

 フォーカスをどっちに当てるか、の問題なんですよね、ここでのテーマってのはね。

 

 「信じる・信じない」の違いは、本音と建前のどっちの部分にフォーカスするか、ということなのであります。

 「本音」にフォーカスを当てれば、それは「信じる」ということであるし、「建前」にフォーカスするなら、それは「疑う」ということになるのですね。

 

 物事は、その本質部分を見極めて、それに即した行動を起こすことで、すべてうまくいくようになっているのですね。

 

 それができれば失敗のしようがありません。

 

 その先に待っているのは、成功のみ、なのであります。

 

 木でいうなら、「幹」の部分に着目し、「枝葉」の部分についてはスルーして構わない、ってことになるのですね。

 

 

 

 まあ、それが、「信じる」ことの“本質”でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 とりあえず、後で、また記事を投稿します。

 

 

 書きたくて、かつ、未整理の問題が、まだまだ私の中にたくさん残っていますのでね。

 

 

 

 

  ホント、以前と比べて、気軽に文章を書けなくなったんですよ。

 

 なんか、書くことと書かないこと、もしくは公開することと公開しないことが、(情報量としてみるなら)同じになるような気がしてきたんですね。

 

 

  公私の区別が薄れてきたというか••••••。

 

 

 まあ、それでも、そして、たとえ環境ややり方を変えてでも、書こうという気持ちはありますけれど。

 

 かつて山奥の温泉旅館に2ヶ月間閉じ込もって小説を書いたときのようにね。

 

 

 だって、書きたくないとか、書くネタがないというわけじゃありませんから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🌷

 どうも。橋本順一です。

 

 幾つか、書きたいテーマがあり、それに加えて、ここ数日の個人の印象的な出来事が複数あったこともあり、ちょっと思考が込み入っている状態なので、ブログ記事を書けるかどうか判らないんですけれど、一応、書くだけは書いてみたいと思います。

 

 連続的か、それとも断続的かは判りませんけれど、やるだけは(後ほどに)やってみます。

 美術で喩えるなら、クロッキーみたいなものですね。

 

 

 というわけで、よろしくお願いします。

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世界の中心でロックンロールを叫ぶ

 

 

 ロケン•••

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!

 

 

 

 

  

 

 

 

 「ロックンロール」というのは、二つの単語を合成して出来た言葉であるらしいです。

 

 すなわち、「ロック」と「ロール」の2語を組み合わせて「Rock and Roll」としたうえで、短縮して「Rock’n Roll」というふうに統合したわけですね。

 

 それでですね、「Rock」の意味は「刺激する」、「Roll」の意味は「揺さぶる」、といったニュアンスで、それぞれ捉えられることが多いらしいです。

 

 しかし、統合すると、特にこれといった、具体的な意味はなくなるのだそうです(アメリカの場合)。

 

 たとえば、こんな感じに。

 

 

 

 

 

 

 「オラァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 

 とか、

 

 

 

 

 

 「行っけえぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 とか、

 

 

 

 

 

 

 「乗ってけえぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 

 とかいう具合いにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ナイスバディは俺のもんだ。」

 とか(笑)。

 

 

 

 

 

 

 何でもいいわけですよ。とくに意味はありませんからね(笑)。

 

 

 ただ、現在では、アメリカでも若者たちはあんまりそういう言葉を使わなくなったらしいです。

 

 

 

 

 

 まさに、ロックンロールは死んだ、みたいな(笑)。

 

 

 

 まあ、あくまでも、アメリカの若者の間においては、ということですけれどね。

 

 

 

 

 でも、「板垣死すとも自由は死なず」じゃあないですけれど、たとえロックンロールが死のうが死ぬまいが、自分の好きなもの、信じるものを、世間や周りの人たちの考えとか評判といったことに関係なく、追い求め続けることが出来たなら、それはもう、(或る種の人にとって)無上の喜びだと思います。

 

 

 やっぱり、理想を考えるなら、最終的には、好きなものを選び取る人生に収束していくことになるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

  江崎玲於奈博士(物理学者)も、こう言っておられます。

 

 

 

 

 「自分らしい生き方をするためには、戦うことを避けてはならない。」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロケン•••

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 江崎博士は、独特の、合理的な、素晴らしい個性の持ち主でいらっしゃいますし、あの、個人主義の国・アメリカの人たちからさえ、「エサキは日本人らしくない」と言われているほどの人物です。

 

 あまりにも自己主張が強すぎるため、(残念なことに)日本人の同僚たちからは、“バナナ”であると、揶揄されてしまったこともあるそうです。

 

 見た目は(黄色い肌をした)東洋人なのに、中身は(白い肌をした)欧米人みたいな特徴を備えていることから、そう言われてしまったのだそうです。

 

 そうした二重構造がバナナの形態っぽい、ということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ところでね。

 私、今日のお昼ご飯、明太子のおにぎりを食べたんですよ。

 

 

 めっちゃ、美味しかった!

 

 

 それはそれでいいんですけど、明太子って表面は赤色じゃないですか。

 それで、当たり前なんですけれど、齧ると、中身も赤色なんですよね。

 

 

 

 それでですね、ネットのニュースサイトを見ていたら、たまたま、女優の橋本環奈さんのウェブページにて、赤色の寝袋に包まった、おどけたような表情の彼女の写真が、掲載されたとの記事がそこで、紹介されていたのでした。

 

 

 それを見た人たちは、「まるでタラコみたいで可愛い」とか、「何この可愛いらしい明太子は」といった感じで、反応を示していたようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、そうですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふっふっふ•••••••。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でもね、思うんですけど、あれ、たぶん、リンゴですよ(笑)。

 

 

 

  

 

 なぜかといいますとね、彼女は色白肌だからです。

 

 

 リンゴの赤い皮を剥けば、中身は白いじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 だからなのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 明太子だと、中身も赤いことから、今回は当て該まらないような気がします(もちろん、当て該まるかもしれませんよ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 江崎玲於奈博士がバナナなら、橋本環奈さんはリンゴ、というわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇しくも、彼女のファ一ストネームは、「リンゴ」という意味も含んでいるらしいですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、私はというと、まあ、やっぱり、バナナでしょうね(笑)。

 

 

 もう、日本人の見た目そのものです。

 

 

 

 

 

 

 思いっきり、高崎、って感じ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 ロケン•••

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 •••さ、仕事!仕事!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これからも仕事がはかどるぞおぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カスケード

 先日、道を歩いていたら、街で、偶然、廃墟を見かけました。

 

 壁や屋根などに蔦が満遍なく絡まり、いい雰囲気を醸し出していたので、思わず撮影してしまいました。

 

 

 
f:id:hirameking:20170721195110j:image

 

 

 なんか、この上の写真、光が、まるで左利きの人がデッサンしたときの筆線みたいになっていますね。

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチっぽい感じ。

 

 

 
f:id:hirameking:20170721195532j:image

 

 今度は、右利きのデッサンの筆線、って感じですね。

 



f:id:hirameking:20170722165747j:image


 宛ら、“光のカスケード”ですね。

 

 偶然、こういう写真が撮れちゃうんですよね~。

 当初の目的は、廃墟を撮ることだったのに、いざ写してみると、こういうふうになる。

 

 

 

 やっぱり、私、“芸術の神様”に愛されているんですかね?! 

 

 

  

 ただ、まあ、偶然の持つパワーも、侮れない部分がありますけれどね。

 

 たとえば、ピストルを作る過程についてなんですけれど、こんな話を聞いたことがあります。

 工場で大量生産するなかで、「One of thousand」と呼ばれる超優良品が 、偶然、出来上がることがあるのだそうです。千個に1個くらいの割合でね。

 それは、どんな天才職人が手作りで仕上げたものよりも、性能が勝っているのだそうです。

 

 

 

 偶然の力、侮り難し。

 

 

 

 まあ、本当は、そこに何らかの力学が働いて、そうなっているんでしょうけれど、でも、究極的には、偶然だろうと必然だろうと、良い作品になりさえすれば、私は満足ですけれどね、物作りにおいてはね(笑)。

 

 

 

 

 

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銃と統治機構

 アメリカは、「小さい政府」だといわれていますよね。すなわち、議会などの立法府、警察などの行政府における成員数が少ないタイプの統治システムに基づいた国家である、ということですね。

 

 さて、それでね。

 思うんですけれどね。

 アメリカは、銃社会ですよね。なぜ銃社会なのかというと、それはたぶん、政府を「小さ」くしたぶん、支配力が弱まり、それを銃という(パーソナルな)武力で肩代わりしているから、そうなっているものと考えられます。

 日本は、銃社会じゃありませんよね。でも、「行政国家現象」と呼ばれているくらい、行政権の比重が大きい社会ですよね。いってみりゃ、「大きい政府」ですよね。

 「大きい政府」だからこそ、国民一人ひとりが銃を持たなくて済んでいる、ともいえるんじゃないでしょうか。

 

 しかし、だからといって、それは喜ばしいことではないんですよね。

 国民相互の信頼関係が乏しいがゆえに、「大きい政府」の統治力・支配力に頼らざるをえない状況になってしまっている、とも考えられるからです。

 

 形こそ違え、アメリカも事情は同じです。

 

 人と人とが、信じ合っていない。

 

 だから、懐に銃を隠し持っている。

 

 それで、その銃にガードさせているぶんだけ、政府の負担が軽くなっているため、「小さい政府」で済んでいると思うんですよ。ただそれだけの話でしょう。

 

 

 でも、そうはいっても、「大きい政府」よりは「小さい政府」のほうが、まだ、ましなのです。

 

 政府なんてのは、小さいに越したことはないんです。

 大きい必要なんて、更々ありません。

 

 だから、国会議員の数も、公務員の数も、どんどん減らしてしまったほうが、(ホントは)いいんです(国会議員および公務員の皆さん、すみません)。

 

 

 はっきり言いますけれど、それらはもともと、あまり必要ないものなのですよ。  

 

 もちろん、銃も必要ありません。

 

 

 

 必要なのは、「信じる力」です。

 

 

 

 人と人とが信じ合える世の中こそが、真の平和な社会だと呼べるのです。

 

 

 戦争を放棄する平和憲法こそが人類の模範ともいうべき理想の形であり、世界の未来だといえるのに、それをわざわざ改正する(改悪する)ような動きになっちゃっているなら、世も末でありましょう。

 

 

 憲法は、いまのままでいい。

 

 

 憲法を変えるよりも、まずは本当のことを知ったほうがいい。

 

 

 

 

 いまの世の中(資本主義社会)が、いかに複雑であるかということを。

 

 

 

 

 そして、人と人とが信じ合えないのは、その複雑さのせいなんだ、ということを。

 

 

 

 

 

 それに関するテーマについては、今後また、別記事にて、詳しく述べてまいります。

 

 

 

 

 

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