橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

運命の赤い糸

 信じることの対象は、「目に見える世界」と「目に見えない世界」の両方です。

 

 

 「目に見える世界」というのは、ご存じ物質世界、物理的世界のことです、我々が暮らしている、このね。

 「目に見えない世界」というのは、物と物の間の関係性や、人と人の間の関係性を指します(つまりはエネルギーを指します)。

 

 

 私たちは、その両方の世界を材料として、「現実」の世界像を形成するチャンスを与えられています(ただ、残念なことに、多くの人は「目に見える世界」しか材料に用いません)。

 

 

 

 じつは、成功や幸せ、豊かさといったものは、我々のすぐ目の前にあり、手を伸ばせば届く状態になっています。

 

 

 

 しかし、(私もそうでしたけれど)多くの人はそのことを信じないために、それに向かって手を伸ばそうとはしません。

 

 なぜ、手を伸ばそうとしないのでしょうか?

 

 

 

 

 

 目の前の世界が歪んで見えているから。

 

 

 

 

 

 この世のメカニズムは、「想い」が「現実」を形成するような仕組みになっています。

 

 

 それゆえ、信じないと、歪んだ世界像しか形成できないことになってしまうのですね。

 

 

 なぜなら、材料(エネルギー)が乏しいからです。

 

 「信じない」ということはどういうことかっていうと、それは、有用な、素晴らしい素材を「活用しない」、「採用しない」ということに通じています。

 つまり、エネルギー(物体相互間の関係性)を(目に見えないからという理由で)材料として用いない、ってことなんですよ。

 

 それゆえ、世界像を作るための材料が乏しくなってしまい、いびつな、不完全な現実世界が形成されてしまう羽目になるのですね。

 

 そのような世界は、どんよりと曇り、歪んで見える世界です。それを眺めていたって、幸せにもなれないし、元気にもなれないですよね。

 

 

 せっかく作るのであれば、見ていて元気になれる世界のほうがいいですよね!

 

 

 材料をふんだんに用い、時間をたっぷり掛けて、情熱を注ぎ込んで作り上げた世界像は、バランスが整っていて、美しくて、キラキラと輝いて見えるのです。

 

 

 

 

 見ていて元気が出たり、幸せな気分に浸れたりしてくるんですよ!

 

 

 

 

 

 人生も芸術(創作活動)も、同じ。

 

 

 

 作り手がエネルギーに満ち溢れているか否かで、すべてが決まります。

 

 

 それは、「想い」の力が大きいか小さいかによって、エネルギーを世界像形成のための材料に加えることができるか否かが、決まってくるのです。

 

 

 

 強い「想い」が、「信じる気持ち」が、素晴らしい「現実」を作るのです。

 

 

 そういったものは目には見えないけれど、あたかも「時間」がこの世に確かなものとして存在しているのと同様に、まるで“運命の赤い糸”みたいに、この世界の各構成員相互間に確かに存在し、互いをしっかりと繋いでくれているのです。

 

 言っている意味、判りますよね?

 時間って、目には見えないけれど、ある・なしでいえば、ありますよね。つまり、ちゃんと存在しているってことですよね。

 それと同様にですね、想いとか心とか、人と人との結びつき、関係性といったものも、目には見えないじゃないですか。でも、それは“運命の赤い糸”と擬態できるほどの、確かな存在であるといえるのですね。ちゃんと、それらは、私たちの暮らすこの世界の身近なところに、存在している、ってことなんですよ。

 

 

 その意味で、そうした仕組みがあることは、決定論・運命論がカバーするメカニズムであるといえましょう。

 

 

 

 

 

 

 “運命の赤い糸”を信じられるかどうかで、幸せになれるかなれないかが、決まってくるのです。

 

 

 

 

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彼女は純愛を抑えきれない

 
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  最近、少し考え方が変わってきて、私は、100%の運命論に、一部、修正を施しました。それが、前回のブログ記事です。

 

 どういうものかといいますと、人の「想い」が「現実」を変えうる、との考え方です。

 詳しい説明は前回行いましたので、割愛させていただきますけれど、要するに、次のようなものです。

 

 万物は流転する。

 ゆえに、「現実」も揺れ動く。

 人の「想い」はその影響を受け、やはり揺れ動く。

 その一方で、「現実」もまた、人の「想い」に影響されて、変化してゆく。

 

 以上のような感じです。

 

 


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 100%の運命論は、人の運命は、生まれてくる時代、国、地域や、顔、性格、能力、そして家族や友人や恋人との関わり、職業、さらには健康や寿命に至るまで、予め、数百億年、数千億年も前から、すべて決められている、とする考え方です(決定論)。

 ここでは、人の意思が介入する余地はなく、運命は人間の手によってでは一切動かせない、としています。

 私はずっとこの立場だったのですけれど、少し修正し、「想い」の力によって「現実」を変えることは(或る程度)可能である、と考えるようになりました。

 

 



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 なんか、女性エッセイとかの装丁写真っぽい載せ方になってきましたね(笑)。

 

 

 

 

 さて、それはいいとして、続きに参りましょうか。

 100%の運命論って、じつは、やや窮屈に感じていた部分もあったんですよ。何か未来への見通しが、あまり良くないっていうか、空気としてというか、流れとして、行き詰まっているっぽい時って、あるじゃないですか。 

 そういう場合、100%の運命論に立っちゃうと、「運命は決まっているんだ」、「自分の力では好転させることはできないんだ」という気持ちが強くなってきてしまうがゆえに、ちょっと気分的に沈んでしまうこともありうるわけです。

 

 


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 ところが、それを修正してですね、「現実」はもともと揺れ動くものなんだ、そういう性質があるんだ、だから自分が強い「想い」を持ち続けることで「現実」を変えうるんだ!・・・と考えたならね、とても気が楽になったんですよね。

 

 これは私の中で、非常に大きな収穫だったように思います。

 

 

  現時点で与えられている材料から、(自分の狭っ苦しい了見で)未来を一方的に推測したとき、場合によっては暗く、重苦しい「現実」が待ち受けているような気が、したりしてしまうこともあります。

 

 でも、この新たな、修正した運命論でそうしたケースを考えるなら、「現実」はいくらでも揺れ動くんだ!、それも自分の「想い」の力によって!、って思えてくるから、不思議です。

 

 

 

 それはとても幸せなことだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに載せた白百合の写真、じつは、昨年の11月直前に撮影したものなんですよ。

 その日、散歩中、道で見つけたものです。

 

 綺麗に、咲いていました。

 

 めっちゃ季節外れですよね。

 

 

 

 

 

 でも、「現実」に、こういうことが起こるわけですよ。

 

 

 起こらないなんて、決めつけられないのです。

 

 

 

 

 

 未来は、何が起こるか判りません。

 

 

 

 

 

 そうであるなら、前向きな、良い未来だけを、信じて待ちたいものですよね。

 

 

 

 

 恋愛小説・ドラマとかもそうですよね。

 

 

 

 

 

 最後まで、どうなるか判らないじゃないですか。

 

 

 

 

 私自身、小説を書いたとき、ストーリーやプロット、場面描写、登場人物の名前・キャラクターさえも、途中でどんどん変更していきましたもん、随時ね。

 

 

 

 

 

 

 

 より良いものを生み出すために、そうした努力が必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 恋する美少女は、きっとこういう気持ちになり、こういう言葉を喋り、こういう態度を取るだろうな、っていう感じで。

 

 

 

 

 

 彼女はこんな時、きっと好きな男性への愛をこう貫くだろうな、みたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 逆に、こういうことは言わないだろうな、こういうことは絶対にやらないだろうな、というふうにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生や日常生活、運命も、それと同様だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは「想い」によって変えられるのです。

 

 

揺らぎと力

 よく、エンジェルナンバーのサイトや自己啓発本などを読むと、「心が現実を作る」、「想いが人生を決める」といった内容の理論が書かれてあったりします。

 

 「想い」っていうのは揺れ動きますよね、自分の置かれている状況によってね。また、人の気持ちって、けっこう複雑で、(修行を積んで精神統一が出来るようになったのであれば話は別だけれど)相反する気持ちが同居している時もあったりしますよね。ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちというふうにね。

 

 さて、そうであるならね。

 そうした「想い」に対する評価が「エンジェルナンバー」なんだ、と捉えるならね。一日のうちに、良い意味合いのナンバーと悪い意味合いのナンバーの両方を見かけた場合に、そのことと辻褄が合うことになりましょう。

 たとえば、「7777」と、「或る、悪い内容を示すナンバー」とを、両方、同日中に見たならば、

 

 

 「どっちだよ!」

 

 

 とツッコみたくなるような結果であるといえるのだけれど、それについては、

 

 

 どっちでもある、

 

 

 っていうのが答えだということになります。

 

 良い心構えと悪い心構えとが、自分の中に両方ある、ってこと。

 

 天使さんたちが、それら両方の気持ちに対して、両方、判定してくださった、ということなのです。

 

 

 したがって、その場合は、なるべくプラス思考をするようにして、良い現実だけがやってくるようにすればいい、という結論になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ところでね。

 一つ前の記事で、100%の運命論について少し触れたのですけれどね。もし、それが本当にこの世の真実に妥当するなら、「じゃあ、心って何のためにあるの?」という話になりますよね。

 

 

 心は、揺れ動く。

 

 

 揺れ動くから、それを「こころ」と呼ぶ。

 

 

 100%、予め定められた運命のシナリオの通りに「現実」が決定されていくのであれば(決定論の考え方)、「心」は一切揺れ動く必要がなく、ずっと一定のままであり続けりゃいいじゃん、と考える余地もあります。でも、実際、それは揺れ動きます。

 

 

 

 もしかしたら、この世のメカニズムは、そうした「心の揺らぎによって現実の未来も揺れ動く」仕組みになっているのかもしれません(つまり非決定論の考え方です)。

 

 

 

 わざわざ人間に「心」などというものが備わっているのは、その紛れもない証拠なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 万物は流転します。

 

 「現実」は揺れ動きます。

 でも、揺れ動くのはそれのみならず、「心」もまた、そうです。

 

 

 

 

 

 「現実」も揺れ動くし、「心」も揺れ動きます。

 

 

 

 

 

 「心」も、この世を構成するいち要素です。

 「心」も万物流転原則に従います。だからこそ、「心」は揺れ動くのです。

 

 

 「エンジェルナンバー」は、そうした揺らぎも含め、「現実」を予告したり評定したりします。

 良いナンバーも悪いナンバーも同日中に両方見かけることがあるのは、そのような理由に基づいているからなのですね。

 それは過去の行いに対する評価だったり、未来の事実に対する予言だったりするのであり、ケースによって内容は様々です。

 

 

 

 「心」の持ち方一つで、「現実」というのはいろいろと変えうる余地があるのです。

 揺り動かせるのです(その意味からすれば、非決定論が正しいことになります)。 

 

 

 

 人は、(自然環境や社会環境、他人の「心」については、思うままに操ることはできないけれど)自分一人の「心」なら、肯定的な思考によって、良い方向へコントロールすることができます。

 

 

 

 その際の大事なポイントがあるとするなら、それは、たとえばニュース報道や人の発言・振る舞いなどの「現実」や、自分を取り巻く「環境」などに関しては、はっきりと判明している内容だけを、信じ抜くことだと思います。

 

 そして何より、自分の心の豊かさを、信じる。

 

 まだ事実か否かがはっきりしていないことに関しては、プラスの内容に思えるような解釈をし、マイナスの内容にならないように注意する。

 

 

 未来は、まだ到来していないのだから、現在の時点では、シロともいえないしクロともいえないのです。

 

 グレーでもありません。

 

 

 

 でも、敢えて色づけをするとしたら、やっぱりシロです。

 

 

 

 シロ。

 

 

 

 なぜなら、その時点では、それがシロじゃないなんて誰にも断定できないのですから。

 

 

 

 

 

 

 あくまでもそれは良い前兆である、と捉えてしまえばいいのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「信じるということ」は、そういうことです。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、信じた先に待っているものは、です。

 

 

 

 信じて、天や相手との間に強固な絆を作り、それを通じて、豊かな恵みを供給してもらえるようになる。絆というコネクションには、そうした大きなエネルギーが内在しています。

 

 

 

 

 それは、揺るぎなき不動のなのです。

 

 

 

 

 

 そういう意味では、そのの作用は、揺れ動くことのない絶対的なものであって、予め天使が策定しておいた運命のシナリオであるといえましょう。

 

 

 

 

 そうしたの法則は、未来永劫ずっと変わることはありません。

 

 

 

 

 

 したがって、その部分については、決定論が正しいということになるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世は、決定論の仕組みと非決定論の仕組みとの、両方のメカニズムによって規律されている、ということになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

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鶏と卵

  鶏が先か、卵が先か、という議論があります。

 

 

 たとえば、鶏がいて、卵を産んだとして、やがてそれが孵化し、ひよこが殻を破って出てくるわけですけれど、すると、今度はそのひよこが成長して鶏になり、また卵を産んで、またそれが孵り、ひよこになったかと思えば、またそのひよこが成長して鶏になり、卵を産んで、またそれがひよこになって成長し、鶏になり、やがて卵を産み、ひよこが出てきて成長後に鶏になって、またさらにそれが卵を産んで••••••っていうふうに、延々と、同じプロセスを繰り返していくことになるのですけれどね。

 

  それでですね、物事には始まりがあって終わりがある、と仮定した場合、必ず、何が、どの時点で、どのようにしてスタートし、どのようなプロセスを辿り、どのようにゴールしたか、というふうに、自分が論じたい物事の「始まり」と「終わり」の内容が、それぞれ確定していなければなりませんよね、その一連の流れについての正しい、はっきりとした答えを出すためにはね。

 

 でも、ひよこは、元を辿れば卵だったわけですけど、じゃあ、その卵はもともとは何だったのかって考えると、鶏が産んだものだったのであり、そしてそれは昔へ溯ればひよこだったわけで、そのひよこはもともとは卵で、それは鶏から産まれたもので、その鶏も過去を紐解けばひよこだったのであり、そんでもって、それは元を辿ればやはり卵から産まれて••••••というように、延々とプロセスが巡っていって、どっちが「始まり」でどっちが「終わり」であるかが、はっきりしないのですね。

 

 

 鶏が先なのか卵が先なのか、一体どっちが先なのかについては、断定できない、ということになるのですよ。

 

 

 さて、そうであるならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ば、ね。

 

 ば、なんですけれど、「信じる気持ち」と「成功」の関係も、同じメカニズムになっているような気がするんですよ。

 

 

 どういうことかっていいますとね。

 たとえば、ビジネス書や自己啓発書、エンジェルナンバーのウェブサイトなどで、よく、「信じる気持ちを強く持ち続ければそれが現実化する」みたいなことがいわれていますよね。それで、その場合も、「信じる気持ち」があるから「現実」がそうなるのか、もともと確固たる「現実」があるから「信じる気持ち」が強化されるのか••••••一体どっちなのかが、すぐには決められない、ということなのですね。

 

 

 つまり、両者が互いに影響を及ぼし合う、っていうこと。

 

 

 成功や幸せなどの、結果というか「現実」ってものは、両者の相乗効果によって生まれてくる成果であるような気が、私にはするのです。

 

 すなわち、「信じる気持ち」が「現実」を作り、「現実」が「信じる気持ち」を作る、ということになるわけですね。

 

 

  あたかも鶏が卵を産み、卵が鶏を産む、というのと同様にね。

 

 

 「信じる気持ち」は、自分とターゲット(もしくはパートナー)との間に、直通の、太いコネクションを作る効果があるため、両者間に大きなエネルギー(引力)を生じさせ、互いに引き寄せ合わせて、望む「現実」をもたらしやすくします。

 一方、今ある「現実」が、今の自分の、物事に対する解釈(「信じる気持ち」)に、大きな影響を与えていきます。

 

 

 両方の作用があるのです。

 

 

 さて、そう考えてきますとね。

 もしかしたら、「100%の運命論」は、一部、修正を施さなければならなくなるかもしれません。

 

 

 それにつきましては、また別記事にて、詳しく論じていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はじめに、光ありき

 人はなぜ、生きるのか? 

 

 この問いに答えるのは、とても難しいことでしょうし、人によって意見が分かれるところでもありましょう。

 

 ゆえに、ここでは、また例によって、科学的なアプローチから、答えを探ってみたいと思います。

 

 

 ビッグ・バン理論によると、我々のこの宇宙は、138億年前の大爆発によって誕生した、とされています。

 

 当時、この宇宙は、針の穴ほどの微小な素粒子の塊だったのであり、超高温高圧状態の、いわば火の玉のようなものだったと考えられています。

 

 

 それが創成期の宇宙なのであって、そこには溢れんばかりのが満ちていたということになります。

 

 

 つまり、始まりは、だったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべては、から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それこそが、私たちがまず最初に押さえておかなければならない、この世の大前提でありましょう。

 我々の宇宙は、(それ以前の起源については不明だけれど)光の玉からスタートし、超高温高圧状態のひしめき合いに耐えきれなくなって、一気に弾け飛び、以来、その勢いに乗って、現在に至るまで、ずっと膨張し続けています。

 そのことは、観測データからも明らかです(ハワイにあるハッブル宇宙天文台に備え付けられた巨大望遠鏡で観測されています)。

 

 その点を踏まえたうえで、宇宙における歴史の流れを考えてみますとね。

 宇宙は、いままでずっと膨張し続けてきて、今後も、それを続けていくことが予想されるわけですけれどね。

 ということはどういうことかっていいますとね、この宇宙は中心点から端のほうへ向かって、どんどん間延びしている、ということになるのです。

 

 

 薄っぺらになっていく、ということです。

 

 

 どんどん、どんどん、ペラペラになってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 そうした状況を考え合わせると、宇宙はどんどん駄目になっていっている、ということになるのですよ。

 

 

 

 

 

 

 もし、このまま膨張が止まらずに、限界まで宇宙が引き伸ばされていき、究極のペラペラ状態に至ったなら、それは絶対零度(ー273℃)の世界になり、あらゆる物質の運動が停止します。

 つまり、そうなれば、この世が消滅するということになります。

 したがって、もゼロになる、ということになるのですね。

 

 究極のになってしまうのですよ。

 

 がゼロになるってことは、エネルギーがゼロになるということ。

 

 これは、私の万物理論(関係性理論)で考えると、より判りやすいと思います(詳しくは、過去記事『あらゆる力の統一的記述』をご参照ください)。

 この説では、エネルギーの正体を「物体と物体との間の関係性」であるとしています。

 それゆえ、宇宙が膨張によって間延びし、それを構成する各要素が互いに離れ離れになっていくということは、この世の構成メンバー相互の関係性が弱まっていくということを意味するのです。

 だから、エネルギーが小さくなる、というわけなのですね。

 

 宇宙の活力がどんどん無くなっていくのです。

 

 

 

 要するに、宇宙が駄目になっていく、ってことですよ。

 

 

 

 

 ただのですからね。

 

 

 

 

 なんの希望も、幸せも、無い。

 

 

 

 

  ビッグ・バンという大爆発は、への始まりなのです。

 

 

 

 

 

 宇宙が間延びするってことは、そうなってしまうということです。

 

 そして、そのリスクは、いま私たちがこうしている間も、どんどん高まり続けていっているのですよ。光の速さの90%くらいの、凄まじいスピードでね。

 

 

 

 じゃあ、果たして、我々は、為す術も無いまま、に飲まれていってしまうことになるのでしょうか?

 時間が経つに連れ、人生が、どんどん不幸になっていってしまうのでしょうか?

 闇に拮抗する力は、この世において見つけることができないのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 できると思います。理論上。

 

 

 

 

 

 

 

 努力することによって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 に拮抗するための努力を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきも述べたように、膨張作用というのは、宇宙の構成メンバー相互間の距離を広げる働きであるから、その逆の力を作用させるならば、理論的には、を消し去り、を生じさせることが可能であるといえます。

 すなわち、構成員相互間の距離を縮めるための努力をすればよい、ということになるのですね。

 

 

 

 

  そして、そういう存在がこの宇宙の至る所にいて、それらがそういうことをすればいい、ってことです。

 

 

 

 

 

 まあ、早い話、構築するってことですね。何かをね。

 

 

 何かと何かを、くっつけるんですよ。

 

 くっつけて、にする。関係性を作る。

 

 

 

 

 

  現に、太陽がそうしていますよね。

 恒星ってのは、水素原子で出来ていて、それらを互いにくっつけて、ヘリウム原子に生まれ変わらせ、その際、眩しいを放出しています。

 

 

 

 

 

 そうすれば、に対抗できるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、これがもし、さらにを拡張するようなことをしてしまうなら、私たちの世界は、より不幸で、絶望的なものになってしまう、ということになります。

 

 

 先ほど、ビッグ・バンという爆発はへの始まりだ、と述べましたけれど、そうであるなら、核兵器って、まさに爆発させるための道具じゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちは、爆発では幸せになれないんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発は、にしかなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 従いましてね、わが日本が核武装したり、憲法改正して武力行使できるようにしたりすることは、我々の幸せや繁栄をビッグ・バン理論に照らし合わせて考えるなら、妥当ではない、という結論になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というのは、私たちが何の努力をせずとも、勝手にどんどん増えていきます。なぜなら、それがビッグ・バンの作用だからです。

 

 になぞらえ、になぞらえるなら、はもう既に飽和状態にあるのであり、これ以上追加してもしょうがないんですよ。

 

 

 

 こそ、追加すべきなのですよ!

 

 

 

 我々の世界において、はもう、存在意義を失っています。

 

 それはもう、要らない。

 

 要らないどころか、モタモタしているうちに、ビッグ・バンの拡張作用によって、どんどん増えていってしまっているわけだから、むしろ積極的に、光(善)を生み出す努力をする必要があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちは、そのために、この世に生まれてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「善人」として、を生み出すために、私たちが今ここにいるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 なぜなら、は何もしない限り減っていく一方なのであって、それを積極的に生み出す働き手がいてくれないと困るからです、宇宙にとってね。

 

 

 

 だから、私たちが今、ここにいるのです。

 

 

 

 

 それが、我々の存在意義だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間は、そのために生きているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  要は、バランスを取るためなんですよね。

 

 

 

 

 

 

 はもう飽和状態にある。それどころか、増えていっている。ゆえに、それに拮抗するを生み出すための働き手が、この世に存在している必要がある。

 そこで、そうした使命を課されて、我々人間がこの世界に生み出されてきたのです。

 

 

 

 

 

 

 そこにこそ、努力の意義があるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 とまあ、そんなようなことを、新年早々、考えてみたわけであります、ハイ。

 

 

 

新春アートギャラリー2018


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 どうも。橋本順一です。

 

 新年、あけましておめでとうございます。

 

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 さて、やはり自分はアーティストなので、新年一発目は、美術家らしく、アートなブログでいきたいと思います。ただ、ちょっと作り貯めておく時間があまりなかったので、作品数はそれほど多くありませんけども。

 

 

  それでは、参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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  一時期ハマった、王朝継ぎ紙模様。↑↓

 

 

 

 
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 これ、実物は模様の部分が“金ぴか”になっています。画用紙を草や花の形にくり貫いて、原稿表面に宛てがい、上からゴールドのペイントマーカーで着彩して描き上げました。もちろん、手描きで。光が当たると、めっちゃキラキラするんですよ。

 

 やや昔に作ったやつですけれどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これも、かなり前の作品です。

 
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 マティスの作品の模写。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 “天使の背中”!?

 ・・・これも以前載せたものですけれどね。マティスの模写のところでね。

 

 

 

 

 

 

 だんだん、正月っぽくなくなってきちゃいましたね(笑)。

 

 

 
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 アンディ・ウォーホル風。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 得意の、アブストラクト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、このような感じでございます。

 

 

 他にもまだ、いろいろ作品があるのですけれど、それらについては、またの機会にいたしましょう。

 

 

 

 

 ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋本さん

 書きたい(描きたい)ことがたくさんありまして、それらをすべてアウトプットすることは(色々な都合上)できないのだけれど、そうですねぇ、•••じゃあ、シンクロニシティーの話をしましょうかね。

 

 クリスマスイブからクリスマス当日にかけて、30時間以上、ずっと寝てませんでした。

 ひたすらビジネス文書を作成していました。

 途中、外出したりもして、公園とかで作成作業してもいました(ここ半年間くらいは、家の外のほうが集中しやすい身体と状況になっております)。

 それで、その公園で、犬を連れて散歩している幼い女の子が、ちょっと大きめな声で、飼い犬の名を呼んだのですね。

 

 

 「イブ~!」と。

 

 

 その日は、クリスマス・イブ。

 思いっきりシンクロニシティーでしたね。

 笑っちゃいました。

 

 

 そして、その前日には、夜、図書館のホールへ行ったら、受験生と思しき男の子二人組が、日本史の勉強をしていました。彼らは、互いに質問を出し合い、解答し合ったりしていました。

 さて、その前日だか前々日だかよく覚えていないんですけれど、私は、日露戦争のときは日本はほぼ直感で動いて、敵の進路を予測して待ち伏せして勝てたけれども、太平洋戦争のときは敵に情報収集能力で劣ってしまっていて、逆に待ち伏せされて、その結果ミッドウェーで敗れた、みたいなことを、散歩中にふと考えていたりしていたんですよ。情報って、大事だな~、みたいな感じでね。

 そしたらですね、図書館で居合わせた彼らがですね、質問者の問い掛けに対して解答者が、

 

 

 「ミッドウェー海戦!」

 

 

 みたいに言うもんですから。

  またまたシンクロニシティーです。

 

 さらに、ビジネス文書に関する或る事柄と、まったく同じ名称を、その男の子たちが口々に言い合っていたのでした。

 

 これまた、シンクロニシティーです。

 

 

 

 そして極め付けが、(これはイブの日のことですけれど)そのビジネス文書をプリントアウトするために訪れたお店にて、さらなるシンクロニシティーを経験したこと。

 そのお店は、複合的な業務をやっていらっしゃるところでして、作業着に会社名や個人名などのロゴを刺繍するサービスも扱っておられるのですけれどね、私が、ふと、会計の台の上に置かれた依頼品のジャンパー(左胸の部分)に目を遣ると、なんと、とても素敵な、大好きな、或る苗字が、刺繍されてあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「橋本」と。

 

 

 

 

 

 

 シンクロニシティー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思わず店員さんに、(声はあくまでも冷静なト一ンで)「橋本さんじゃないですか。」って言っちゃいましたもん。

 

 

 

 

 それくらい、インパクトありました。

 

 

 

 

 3日間連続。

 トータルで、四連発。

 

 

 

 

 

 驚き、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 良いことが、ありそうです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メリークリスマス!

 

 

 

 

 

 

 

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 いやぁ~、ちょっと過ぎちゃいましたねー。

 

 

 

 

 

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