橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

エジソンの本音

 前回のエントリーで、エジソンの「天才」観についての話題に触れました。

 そこで、今回は、私なりの天才に関するイメージをお話ししたいと思います。

 ズバリ、人は誰も皆、「天才」です。

 なぜなら、細かいジャンルごとにひたすら根気強く区切っていけば、何びとであろうと、必ずトップに立てる領域が出てくるからです。

 たとえば、誰よりもパソコン操作が早い、とか、日本史の南北朝時代についてなら何でも知っている、とか、お客さんの話を聞くだけなら俺の右に出る者なし、といった感じで、細分化することで、無理矢理にでも、ナンバーワンを名乗ることがでるのです。

 理論上は、どんなことだってOKなわけですよ。

 あのひとを想う気持ちなら誰にも負けない、とかね。

 それだって立派なナンバーワンでありましょう。つまり、「天才」といいうるのです。

 そんなわけでして、人は皆「天才」であることがお判りいただけたかと思います。

 さて、そう解したうえで、エジソンの例の名言について、さらに詳しく掘り下げていきましょう。

 「天才とは、1%の閃きと99%の努力である」

 彼は、それに関して自ら解説したことがありました。その、言わんとした趣旨は、世間はインスピレーションがいかに尊いものであるか判っていない、というものでした。

 天才は、たった1%の閃きだけでコンテンツを生み出せる。しかし、それを社会に着地させるためには、99%もの努力を注がねばならない。

 エジソンは単にそのことを嘆いただけなのに、当時のアメリカ社会の人たちは彼の言葉を曲解し、まるで凡人が天才よりも上であるかのような受け取りかたをしたのでした。

 そうじゃないんですよね。やっぱり、天才のほうが凡人よりも上に決まっているじゃないですか。

 ボクシングのスーパーヘビー級のチャンピオンと、素人が、殴り合いの喧嘩をしたなら、どっちが勝つかなんて考えるまでもないですよね。オリンピックの100m競技の金メダリストに素人が競走を挑んだって、まず負けるでしょう。凡人は、やっぱり、天才には勝てないのですよ、どんなに努力してもね。でも、だからといって、天才だってラクじゃないんです。

 たしかに、天から授かった1%のインスピレーションだけで、あらよっ、という感じでコンテンツを生み出せるのが天才なのだけれど、でも、それを世間に認めてもらうまでが大変なのです。

 そのことをエジソンは、「99%の努力」というフレーズで表現しました。極論すれば、彼は、こう言いたかったんですね。

 

 「1%の段階で判ってくれよ、俺の手を99%も煩わせてんじゃねーよ、ボケ!」

 

 つまり、エジソンの頭の中にある「天才像」というのは、そうした悲しみに裏付けられたものだったのです。

 物を創るだけなら、天才の手に掛かれば楽勝でしょう。いとも簡単に凄いものが出来てしまいます。でも、それを認めてもらったり、稼ぎに替えたりするまでが、大変なのです。「天才とは、1%の閃きと99%の努力である」とは、そういうことなのであります。

 天才といえど、世間と他人は変えられない、ってことですよ、努力なしではね。

 誰もが皆「天才」なのだとすれば、この苦しみは、人類共通のものだといえましょう。

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 併せて、こちらもご参照いただけるとよろしいかと思います。

 

hirameking.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:「凡人」という呼称は、すべての人は得意分野と苦手分野とを併せ持つことから、天才であると同時に凡人でもあり、後者の面に特にフォーカスした場合に、そのような呼び方もできる、との趣旨で用いさせていただきました。

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