橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

相対性理論と男と女

 アインシュタイン博士の相対性理論はどうも解りずらい、と感じている方も多いかと思います。

 そこで、私なりにそれについて考えてみることにしました。その結果、「男女それぞれの視点の違い」になぞらえると解りやすい、ということに気付きました。

 すなわち、「男から見た男像」と「女から見た男像」は違うし、「女から見た女像」と「男から見た女像」は違う、ということです。

 

 唯一絶対の見方・感じ方は無い、との考え方が、相対性理論なのです。

 

 たとえば、(あくまで一般論ですけど)男から見た女は、か弱く、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしているみたいな、ポップで軟派な、可愛らしい存在のようにみえるのだけれど、女から女を見ると、きめ細やかで順応性があって、器用な(ときにネチっこい)存在であるかのようにみえます。

 そして、まあ、男から見た男は、ただ暑苦しいだけなんだけれど、女から男を見ると、単純で鈍感で、不器用な、可愛らしい生き物のようにみえるもんなのですね。でも、男は男で、自分たちは強くて賢くて器用であり、女のほうこそ不器用で可愛らしい生き物だ、ぐらいに思っていたりします。

 つまり、相手を不器用で可愛らしいと感じているのはお互い様なんですよね。

 これはあたかも、日本人から見たアメリカ人は外国人であり、一方でアメリカ人から見た日本人は外国人である、ということと似ています。外国人であるのはお互い様なのです。

 どちらか片方だけが絶対的に自国人で、どちらか片方だけが絶対的に外国人だとは、いえないのですね。

 それと同じように、男だけが絶対的に器用で女は絶対的に不器用であるとはいえないし、女だけが絶対的に器用で男は絶対的に不器用であるともいえません。

 相対的であるとは、そういうことなのです。

 

 見る主体(観測者)によって、客体(被観測者)がどのように映るかが変わってくる、というのが、相対性理論なのであります。

 

 すべての観測者、すなわち万物・万人に共通する唯一絶対の見え方は存在しない、との考え方に立っているのですね。

 

 では、なぜ、絶対的な見え方がこの世に存在しないのでしょうか?

 それは、万物・万人が絶対的存在ではないからです。この世におけるあらゆるものが、長所と短所の両方を併せ持つ、未熟な(つまりは相対的な)存在だからなのです。

 要するに、みんなが個性的で、どこかしら偏っている存在である、ということなのですよ。

 男も女も、日本人もアメリカ人も、みんな偏っています。

 個性があります。

 そうであるがゆえに、自分および相手の属性に影響を受けて、見え方がそれぞれ違ったものになってくるのです。

 

 組み合わせ次第で、関係性が変わる、ということなのです。

 

 これがもし、観測者と被観測者のうち、どちらか一方または双方が、絶対的存在だったなら、組み合わせても組み合わせても、関係性は永遠に変わりません。しかし、この世ではそんなことはありえないのです。

 

 あらゆる成員、あらゆる関係性が、常に変化し続けます。

 

 万物は流転するし、諸行は無常なのです。

 

 相対性は、そこから生まれてくるのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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