橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

争いの原因

 「争い」とは何でしょうか?

 人類、いや、生きとし生けるものすべてにとって、究極の目標は、「共存共栄」でしたね(詳しくは以下の記事をご参照ください)。

 

hirameking.hatenablog.com

 

 そして、それを脅かすものが「争い」なのだけれど、じつは、エスカレートさえしなければ、エキサイトさえしなければ、「争い」はそもそも起こらないのです。

 口喧嘩にしても、いじめにしても、いきなり酷い応酬はしないもんなのですよ。

 初めは、ちょっとした過剰反応からスタートするものなのであります。

 たとえば、北朝鮮がミサイル実験をほのめかす、日本政府の閣僚が靖国神社へ参拝する、憲法改正を持ちかける・・・などといったことは、いわば❝様子見❞なわけですよ。それで相手がどんな反応を示すかを見ているのです。

 つっ突いているわけですね。

 それに対し、間抜けな国や人間というのは、過剰に反応してしまう。

 だから、それを受ける側も大きな反応になる。

 すると、相手はさらに反応をエスカレートさせるので、そうした応酬が繰り返されれば、最終的には戦争になるわけであります。

 つまり、「争い」とは、坂本龍馬ふうな言い方*1をするなら、「小さく叩かれただけのことに対して大きく響いてしまうこと」であるといえましょう。

 要は、「過剰反応の応酬」なわけです。

 賢明な人や国は、小さくつっ突かれただけなら、軽く受け流して終わり、なんですよね。

 それが「共存共栄」の道です。

 まあ、わが日本も、周辺諸国が軍事力を増強したくらいで憲法改正の騒ぎになるようじゃ、まだまだ一流国には程遠いかもしれません。

 わざわざ憲法改正なんかしなくても「共存共栄」はできます。

 でも、改正してしまえば、それは「過剰反応」になってしまいます。日本人にとってはそうじゃなくても、諸外国からみればそうなってしまうんですよ。

 まあ、靖国神社へ参拝するくらいで止めておけば十分でありましょう。

 本当はそれさえもやらなくていいとは思いますけど(小声)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:坂本龍馬は、西郷隆盛に対する人物評を、次のように言い表しました。「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」と。

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