橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

美の枠組み

 美の法則とは、次のようなものであると思われます。

 

 「限られた枠の中で色や形や大きさをバランス良く割り振り、それらを互いに調和させる原理」

 

 それが美の法則なのであり、そうした仕組みがあることによって、私たちはこの世界において「美」というものを認識することができるわけです。

 そうであるなら、逆にいうと、この世に「美」があるならば、この宇宙は有限の完結体であるといえることになりましょう。

 

 「美」は、この宇宙が有限であることの確固たる証拠なのです。

 

 そうじゃなく、もし宇宙が無限であるなら、その中に「美」など生まれようがありません。

 なぜなら、各構成要素どうしの組み合わせをバランス良く行おうとしても、枠そのものが無限であるため、永遠にその作業は終わらないからです。

 つまり、美しいか否かの判断が、永久につかないんですね。いつまでたっても、美しいかどうかの決定を下せないんです。

 バランスが良いのか悪いのかが、誰にも判りません。神様でさえ、判りません。

 

 たとえば、人の顔を例に取って、考えてみましょう。

 一口に「顔」といっても、いろいろな顔がありますよね。

 それで、なかには、とても整った顔の人がいたりします。そういう人は、美形である、といわれます。「美」を備えているわけですね。

 じゃあ、なぜ、その人の顔が美しいかといったら、それは、究極的には、「顔」という概念が、「有限のもの」だからです。

 顔は有限のものだからこそ、その中で、目や鼻や口といった各パーツを、バランス良く配置することができ、その結果、「美形」という概念が生まれてくるのです。

 ふつう、物事っていうのは、「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず」というふうな感じで、帳尻合わせが行われるので、どこかしら「いびつ」になることがほとんどです。

 人の顔も、もちろんそうです。ところが、なかには、バランスがきわめて良い、という人もいるのです。

 そういう人は、「あちらを立ててもこちらを立てても、どっちも立つ」とばかりに、顔の各パーツの均整が取れています。だから美しいのです。

 それは、顔というものが、サイズにおいて「限界」をもつからこそ、美しい顔たりうるわけですね。

 このように、「美」は「有限の枠組み」から生まれてくることが、お判りになるでしょう。

 これがもし、「顔」というものが無限の広がりを持っていたなら、均整もへったくれもありません。パーツの組み合わせようがないのですから。

 ゆえに、「美形」という概念がそもそも成り立たないのです。

 「美」が成立するのは、枠が限られていればこそ、の結果なのですね。

 

  したがって、話を元に戻しますとね、もし宇宙が無限の広がりを持ったものであるなら、「美」という概念がそもそも成り立たないことになるのです。

 ということは、裏を返せば、我々の暮らすこの世界には「美」が厳然として存在しているのだから、この宇宙は有限であるといえることになるのです。

 そして、芸術家という人種は、そこにある美的法則性を模倣することで、自然の枠組みに精通してゆきます。

 

 その作業は、楽しい。

 

 もし、この宇宙が無限だったなら、芸術家などという職業は成り立たないし、そもそも、あらゆる法則自体が存在しないことになる筈です。

 でも、幸い、この世には限られた枠組みがあります。

 法則が存在しうるのは、枠が限られていればこそ、なのであります。

 

 まずはじめに、枠ありき。

 

 枠があるから、その内部の各構成要素を互いに調和させる必要が生じ、それが法則となって現れる。

 そして、それがバランスよく整っていれば整っているほど、人はそれを「美しい!」と認識する。

 美の法則とは、そういうものなのです。

 

 この世は、法則によって規律されています。

 枠が存在するのです。

 したがって、枠の中で生きる者は、法則に逆らってはいけない、ということになりましょう。

 

 幸せに暮らしたいなら、法則に従うべきなのです。

 

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  この世の枠組みについて、さらにイメージを掴みたい方は、こちらの記事を参考にしてみてください。

  

 

hirameking.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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