橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

大物の条件

 明治維新における最大の功労者の一人である西郷隆盛は、坂本龍馬から、次のような評価を受けていました。

 

 「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」と。

 

 その言葉の中に、「大物の条件」が、じつにうまく表現されていると思います。

 どういうことかといいますとね。誰かが大きいテーマの議論を仕掛ければ、それに見合った大きな内容の受け答えができるし、軽妙なノリで取るに足りぬ小さな話題を振るなら、それに応じたくだけた内容の話を返すというような、そういった「打てば響く」タイプの人物像こそが、大物の特徴である、ということなのですね。

 ここでいう「大きなテーマ」というのは、たとえば、国家百年の計だとか、あるべき社会のかたちだとか、或いは、人間とは何か、命とは、幸せとは、というような、スケールの大きい話題のことを指しています。

 一方、「小さなテーマ」というのは、くだらない冗談だったり、下ネタだったりと、そういった格式ばっていない内容の話のことを指しています。

 西郷どんは、要するに、いかなるレベルの話題を振られても、まるで鏡に映すかのように、素直に、会話に応じることができるのです。

 それこそが、西郷どんの真骨頂であり、「大物の条件」であるといえましょう。少なくとも、坂本さんはそう見做している、ということですね。

 この点、そういった「打てば響く」タイプの人物は、大物の中の大物なので、世間全体を見渡しても少数派に納まるんじゃないでしょうか。

 逆に、そうじゃないタイプの人は、(惜しいかな)たくさん溢れているような気がします。

 小さく叩いただけなのに過剰反応して大きく響いてしまうし、大きく叩けば、なんにも響いてくれない。

 たとえば、相手に対し、こちらが、軽い気持ちで「頑張れよ」と励ましたとしましょうか。すると、その人が、過剰な受け取り方をして、怒りだした、というような場合が、それに該たります。

 「人の気も知らないで軽々しく❝頑張れ❞などと言うなっ」と、機嫌を悪くしてしまうのですね。

 でも、こちらは、小さく叩いただけなんだから、小さく響く・・・たとえば、生返事して処理するとか、軽い挨拶程度の言葉、或いは、社交辞令だと捉えて受け流すといった、小さな、簡単な対処方法を、いくらでも行える筈なのに、そうはせず、直情的に不機嫌になってしまうのは、いかがなものでしょうか。

 その割に、大きく叩くと、イメージできる範囲を遥かに超えるテーマの話を振られて理解力の限界を悟ったのか、なんにも響かない。

 こういうのは、本当に、いかがなものでしょう。

 また、インターネット上で大立ち回りを演じる人も、いたりしますよね。

 世の中には、公の場で、うっかりして口を滑らせてしまう人がいます。政治家や芸能人、そして一般人のなかにも、そういったいわゆる「失言」をしてしまう人が、時々現れるのだけれど、それも程度問題なのであって、なかには、じつに取るに足りぬ、些細なレベルにすぎないものもあります。

 たとえば、ちょっとした❝やんちゃ自慢❞をネット上でしてしまった、というケースですね。誰かが、ブログやSNSなどで、「きのう飲み会の帰り道で、立ちションをしたよ~」みたいな、(どうでもいいといえばどうでもいいような)内容の文章を書き込んだとしましょうか。

 こんな時、西郷どんだったら、それを見てどのようなリアクションを示したでしょうか?

 彼の特徴を思い出してみてください。

 「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」、でしたよね。

 だから、おそらく、こんな感じじゃないでしょうか。

 

 「おいどんも立ちションば、やりもんそう~♪」

 

 みたいにおどけて、終わり。

 本気なのか冗談なのかは、周りから見ても窺い知れません。

 なんてったって、歴史に名を刻むような大物ですから。

 もちろん、それはやってはいけないことです。決して、人から褒められるような振る舞いではありません。

 でも、酔っぱらって責任能力*1が乏しい時にまで、血眼になって追及する必要は、私は無いと思います。自分が直接の被害に遭ったわけでもないですし。❝対岸の火事❞、いや、❝対岸の小火❞ていどのこと(つまり小さく叩かれただけのこと)に、いちいちヒート・アップするのも、いかがなものかとも思いますしね(ただし、自分の体や自宅の庭などに直接ひっ掛けられでもした場合は、別ですよ。大きく叩かれていますからね。その場合は、もちろん大きく響いてOKです)。

 一般論的にみれば、ここでのケースは、我先にと「通報しますよ!」と非難するほどのことでもないんじゃないでしょうか(もちろん、感じ方は人それぞれあってよいので、どうしても非難したいならそれもまた結構でしょう。自分の行いに責任を取れるのであれば)。

 いずれにせよ、「惜しい人」というのは、「小さく叩いたのに大きく響いてしまう」点に、その特徴があるように思われます。

 懐が浅いといわざるをえないのです。

 勿体ないですよね。ちょっと「響き方」を見直してみるだけでも、違った捉え方はできるでしょうし。

 

 いずれにせよ、小さく叩かれただけなら小さく響いときゃあいいじゃないですか。

 大きく叩かれたなら、大きく響けるところを見せてやりましょうよ。

 

 それが「大物」というものです。

 西郷どんは、その特徴を備えていた。

 だから、彼は、歴史に名を残せたのでありましょう。

 

 

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*1:法律用語で、是非弁別能力のことをいいます。程度の著しい酩酊状態にあるときは、それが欠けていると認定される場合もあります。

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