橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

以心伝心はいかがなものか

 以心伝心でコミュニケーションできるというのは、一見、素晴らしいことのようにも思えます。

 外国人、とくに欧米人からは、まるでテレパシーのような、物凄い芸当をやってのけているかのごとき、驚きに満ちた受け取られ方をされるときもあります。

 でも、じつは、それは文化的成熟度が低いことの表れでしかありません。

 「以心伝心」とは、言葉や態度に表わさなくても、相手の意図が読み取れる、ということ。

 これは、凄いことでもなんでもありません。

 なぜなら、それができるのは、お互いの考えている内容がかなりパターン化されている場合か、よほどプリミティブであるという場合かの、どちらかだと推定しうるからです。

 その場合は心を読めるのは当たり前なんですよ。

 村社会の中で、畑を耕して、食べて、寝て起きて、遊んで、エッチして・・・みたいな、そんなことぐらいしか、やるべきことが無い暮らし。こんなのを何百年も何千年も続けてきたのが日本社会なのだから、読めないことの方がむしろ、おかしいのです。

 日本人にとって、以心伝心は当たり前なのです。

 自慢でも何でもないの。

 そりゃたしかに、価値観が複雑多岐に分かれていて、いろんな人種がひしめき合っていて、そうした状況の中で、どんな異なる価値観の人とも無言で意思疎通できるのなら、じつにそれは凄いことだといえるけれど、実際そんなことができるのは、占い師かエスパーか、みたいな話になってきちゃいます。

 多様な価値観が併存する、グローバルな社会においては、相手とじっくり話し合わなければ、お互いを理解できません。

 

 心は読めなくて当然なのです。

 

 それがもし、読めてしまうようであれば、よっぽど判りやすい、お決まりの内容を考えているだけである、ということになります。

 そこに「文化」などありません。あるのは、プリミティブな欲望だけです。

 価値観が多様化し、国際化した時代にあっては、以心伝心など無用の長物となります。

 違う国、違う人種、違う宗教の人たちとコミュニケーションを図り、こちらの意図を伝えるには、じっくりと時間をかけ、ロジカルに説明していく必要があります。

 これからの日本人は、それを理解できるでしょうか?

 いままでの、文化もオリジナリティーもプライドも無いような、❝花より団子❞で済んでしまうような社会。

 或る意味、我々日本人は、恵まれすぎていたのかもしれません。

 自然と甘やかされてきてしまっていたのが、いままでの日本人だった、というような気が、私にはしてなりません。

 

 これから、のような気が、いたします。

 

 

 

 

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