橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

骨の髄まで女子高生

 かつてトレンディードラマのキャッチ・フレーズで、こういうのがありました。

 

 「妻であり、母ですが、女です。」

 

 たしかに、そう思いたくなるのも人情でありましょう(私は男なので実感することはできませんけれど)。

 しかし、女性が40代へ差し掛かると更年期を迎えることに鑑みれば、理論上は、「女としての偏り」はどうしても薄れていく、といわざるをえません。

 「女」という方向で性的に特化されていた状態が平準化され、女としての特質が失われてしまう、と考えられるのです。

 女性はそのことに大きなショックを受けるようです。

 しかし、これは見ようによっては、「解放」でもある、といえるんじゃないでしょうか。

 いままで「半人前」でしかなかった自分から脱皮し、新しい「一人前」としての自分へ生まれ変わったのだ、というふうにみれば、これは決して喪失なんかじゃなく、大きな進歩であることになるのです。

 

 女性はこのときから、❝強い人❞になるのです。

 

 孤独にめっぽう強い。

 一人でも生きていける。

 

 連帯の必要性が無いのです。

 夫に先立たれても、すぐに立ち直ることができます。

 まさに、禍転じて福となす、なのであります。

 

 一方、うら若き乙女の場合は、それだけではまだまだ「弱い」といえましょう。

 弱い振りをしているのではなく、本当に「弱い」のです。

 なぜなら、特化されているからです。

 「特化されている」とはどういうことかっていうと、それは、長所と短所との間のギャップが大きく、「女としての偏り」がきわ立っていることを意味しています。

 たとえば、女子高生は、顔、肉体、精神、すべてにおいて「女子高生」となっている、と考えられます。

 

 ❝骨の髄まで女子高生❞というわけですね。

 

 これほどまでに特化されてしまっていれば、どうしても「弱さ」が出てきます。

 それゆえ、男性と連帯しないなら、時の流れに満足に着いてゆくのは難しくなります。

 よく、夜中に寂しさでいっぱいになり、泣きだしたり、彼氏に突然電話をかけたりする子がいたりしますけれど、それはべつにカマトトぶっているわけではなく、正真正銘、「弱い」から、そうせざるをえなくなっているのですね。

 

 「弱さ」の原因は、偏りにあり、特化にあります。

 

 そこから脱却できるようになるためには、❝連帯期間❞が満了する必要があるのです。

 つまり、更年期に入るまで待たなければならない、ということですね。

 

 どっちにしろ、老いも若きも、男も女も、「一長一短」があることに変わりはありません。

 

 これは、真実です。