橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

閉じられたもの

 相性や個性というものは、もともと決定論的な、「閉じた」概念なのかもしれません。

 つまり、そこに何らかのソフトを組み入れることによっていかようにも変化しうるような「開かれたもの」なのではなく、もう最初から運命によって「確定されたもの」なのであります。

 たとえば、自分と、誰か他の相手がいるとしましょうか。

 両者の間には、相性があります。

 そして、それが良いか悪いかは既に確定されているのであって、いまさら人間が努力で変えられるものではありません。

 もし2人の間の相性が悪いものであるなら、スタート時点ではよくても、途中で、何らかのきっかけで、縁が切れるようになっているのです。

 もう、何をしてもそうなんですね。

 褒めようがけなそうが、どのみち相手は機嫌を損ね、或いはビビって、こちらの目の前から姿を消してゆくのです。

 相性がそういうふうになっているんです。

 運命なわけ。

 縁が切れる宿命だったんですよ。

 だからこっちは、それを知ればいい。

 また一つ学んだ、ってことなんですよね。

 そして、やがて必ず、新しい相手と出会います。

 だから、離れていった人のことは、気にする必要はありません。それで正解なんです。

 「あのとき、ああしてさえいたらなぁ」みたいな後悔は、一切、しなくていいのです。

 なぜなら、ああしていようがしていまいが、どのみち縁は切れるようになっていたのですから。

 

 運命とか相性というものは、そんなふうに「閉じられたもの」となっているのであります。

 

 それを個人のアクションでこじ開けようとしても、無意味なのです。

 

 

 「閉じられ」ているくらいが、ちょうどいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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