橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

時代のホメオスタシス

 時代は、「アナログ」から「デジタル」へと移行しました。

 それに伴い、マス・コンテンツの一方的な垂れ流しには人々は反応しなくなりました。

 大衆は、情報の単なる「受け手」としての立場に満足できなくなり、自らが「送り手」として積極的にパフォーマンスしなきゃ気が済まなくなりました。

 そのためのインフラは十分に整っているわけだから、❝1億総パフォーマー時代❞みたいになっていくのは、当然の流れでありましょう。

 

 私が、いちばん初めに「マス・コンテンツの神通力、弱くなったなぁ~」と感じ始めたのは、2006年頃です。

 その当時、私は東京の吉祥寺にある井の頭公園で、似顔絵を描いて売るという、露天商をやっていました。

 有名・無名を問わず、注文を受ければどんな人のものも描いていました。

 ただ、誰もが知るスーパー・アイドルみたいな人の似顔絵であっても、こちらが任意に選んでディスプレイしておくだけでは、あまりお客さんに反応してはもらえませんでした(それはあなたの絵が下手だからなのでは?、とのご勘ぐりは、ご容赦ください。知人の、世界的に有名な巨匠から、技量を褒めていただいたこともありますので)。

 まあ、似顔絵を売るということ自体、1970~80年代くらいのビジネスモデルだと思うので、オリジナルではない、ただマス・コンテンツに乗っかるだけの情報発信では、通用しなくなりつつあったのでしょうけれど、それに加え、時代の流れとして、CDも売れず、TV番組の視聴率も低下傾向になり、大ヒットというものが生まれにくくなってきていたこともまた、確かです。

 

 マス・コンテンツの時代は終わったんだなと、私はその頃感じたのでした。

 

 この話には、じつはオチがあって、それは何かというと、私が仕事を始めてまもなく、井の頭公園を管轄する行政の当局が、そこでの露天営業に対して、利用手数料(月額1万数千円)を徴収する旨の発表をしたことで、一斉に露天商の人たちがそこからいなくなったことなんです。

 けっこう活気があって盛り上がっていたんだけれど、❝井の頭バブル崩壊❞みたいになっちゃったんですよ。ほら、行政って、バブルをつっ突くのが好きじゃないですか。それまでのオシャレな賑わいから、一瞬にして閑古鳥状態へ移り変わりましたからね。

 まあ、それは余談なんですけれども。

 いずれにせよ、時代は「アナログ」から「デジタル」に移行したわけです。

 そうであるなら、仕事や生き方についても、デジタル時代・デジタル社会に見合ったものへと、変えるのが望ましいことになりましょう。

 

 つまり、それもホメオスタシス*1そのものなんですよね。

 

  時代には同調したほうがよいでしょう。

 反発すれば反発するほど、流れから取り残されてしまいます。

 

 ついていきましょう。

 いつでもどこでも、爽やかであり続けられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:恒常性維持機能のことです。たとえば、人の体温調節がそうです。上がり過ぎれば汗をかいて下げ、下がり過ぎれば震わせて上げる、というものです。要は、バランスを保つための機能をいいます。