橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

フグと毒

 物事には、必ず、「光」と「影」があります。

 この両者はセットになっています。自分のもとに、両方が来てしまうんですよね。

 必ず両方が来るのであって、そのこと自体はどうにもできません。人間の力では操作できないんです。

 

 起きる出来事を、自分の都合の良いように変えることはできません。

 でも、起きた出来事を(影の部分)を処理することなら、私たち人間にだってできます。

 

 自分の目の前に現れる人間は、2種類のタイプに分けられます。

 好きな人と嫌いな人です。

 そして、生きている限り、その両方が来るようになっています。

 嫌いな人だって、必ず、来てしまうんですよ。

 それは残念ながら、防ぎようがありません。

 生きている限り、社会生活を営んでいる限り、それを避けることはできません。

 喩えるなら、畑作を営めば、作物も育つけれど雑草も生えてきちゃう、ということと同じようなものです。

 雑草の芽が出てくること自体は防げないけれど、人間が、事後、草むしりすることなら、できます!

 フグ料理を食べるのだって、毒の部分を取り除くという❝作業(工夫)❞をしさえすれば、何の問題もありません。

  だから、フグに毒があることを嘆くのは、ナンセンスです。

 畑に雑草が生えるのを嘆くのは、ナンセンスです。

 嫌いな人が目の前に現れることを嘆くのだって、ナンセンスなのです。

 来ちゃうのは仕方がないの。

 

 大事なのは、来ちゃった後にどうするか、なんですよ。

 

 そして、来ちゃったら、逃げりゃいいだけなんですよ。避けりゃいいの。

 距離を設ければOKなのです。

 その❝作業❞をやればいいだけの話なのであります。

 

 嫌なやつが来ないように仕向けることは、或る程度はできるかもしれないけれど、ゼロに抑えることはできません。

 それはあたかも、フグという生物種を毒の無い魚に作り変えらせられないのと同じことです。

 人間の力ではそれは無理です。

 嫌なやつは、いつか、来る。

 だから、こっちは、逃げる。

 逃げることに全力を尽くす。

 すべての力を、逃げることに費やす。

 

 

 それが正解なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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