橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

男の顔は履歴書である

 男の顔は履歴書です。いや、男に限らず、人の生き様は、顔に出ます。

 こう言うと、なかには反発したくなる人もおられるでしょう。

 でも、おそれながら、そういう人は、自分の顔に自信が無いか、もしくは嫌いなのではないかと思われます。

 自分の顔のことを、嫌な顔だと認識しているからこそ、それが自分の生き方・考え方が反映したものだとは認めたくないのでしょう。

 でも、この「顔に出る」論というのは、必ずしも顔の美的造形性のことを論じているわけではありません。

 要するに、「感じの良さ」、「活きの良さ」を言っているのですね。

 具体的にみていきましょうか。

 私は、よく、見知らぬ街を仕事で訪れたり、散歩したりするのだけれど、時々、住宅地で廃墟を見かけることがあります。

 それでね、一見、綺麗にみえるんだけれど、明らかに廃墟だと判る家があるんですよ。

 家の外観は綺麗なの。

 見るからに朽ち果てているような感じじゃあない。

 庭に雑草が生い繁っているわけでもないし、窓越しに見えるカーテンや障子がビリビリに破れているとか黄ばんでいるといったようなこともない。

 でも、明らかに、そこに生気が感じられないんですよね。

 なんとなく、寂しい感じがするのです。

 つまり、活気、エネルギーが無いのです。

 だから、廃墟だと判るのであります。

 たとえ見た目は綺麗でも、エネルギーが無ければ味気ないものになってしまう、ということがお判りになられるでありましょう。

 

 男の顔についても、同じ理屈が当て該まるように思われます。

 「生き様が顔に出る」というのは、必ずしも美形だとかイケメンであるといったことの当否を論じているのではなく、そこにエネルギーを感じられるかどうかという点を指しているんじゃないでしょうか。

 まあ、早い話、刺激的かどうかを言っているんですね。

 いい経験を積んできた顔というのは、味のある、なんともいえぬ刺激・オーラに満ちていたりします。

 

 「生気」が人を惹きつけるのです。

 

 また、こういう例もあります。グリム童話『白雪姫』では、意地悪な妃が白雪姫に毒リンゴを食べさせて殺害するんだけれど、隣国の王子がその死に顔のあまりの美しさに見惚れて、思わずキスをし、その刺激で白雪姫が蘇生する、というエピソードが紹介されています。

 でも、いくら美人でも、死んでいれば、そこに「生気」は無い筈なんですよ。

 まあ、仮死状態だったんでしょうね、白雪姫の場合はね。

 ということは、生きている普通の女性に仮死状態の白雪姫が勝った、ということになります。王子の心を惹きつけるという意味ではね。

 彼女はきっと、心も美しかったのでありましょう。

 「生気」において彼女に勝る者なし、といった感じだったのだと思います。

 まさに無双ですわな。

 

 「生気」は人を魅了します。

 「死」はその対極にあるものであり、決してカッコいいものでも畏敬するようなものでもありません。

 

 よく、映画とかドラマとか音楽PVなどで、人の死ぬシーンを耽美主義的に、ドラマチックに描いている作品を見掛けることがあるんだけれど、なかには、それを見て、「死」というものを美化したり、憧れを持ったりする人も出てくるんじゃないでしょうか。

  でも、それって、生きている人が死ぬ振り・死者の振りをするからこそ、美しくみえるだけなのであって、本当に死んでしまったら、ただ、ただ、醜くて恐ろしいものでしかないんですよ。

 そこに「生気」は無いのですから。

 

 「生気」に溢れた現役バリバリの生者が死者を演じるからこそ、美しいのです。

 

 そこを見誤らぬようにしないといけません。

 

 「死」を美化するくらいなら、「生」を美化しましょう。

 

 心を、考え方を、生き方を美化しましょう。

 

 「履歴書」たる、男の顔を、オーラを、生気を、美化しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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