橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

猫に小判

 生きとし生けるものすべては、この世の構成員として当然守るべき「正しい振る舞い」を、普段において一応できています。

 しかし、あまりにも「カネ」を持ちすぎると、人間は、その内部に備えていた「ゆきすぎた振る舞いを防止するリミッター」が壊れてしまうという事態に陥りやすいものなのです。

 

 なぜなら、「カネ」=「ズボラ権」としての性質は否めないからです。

 

 人間が直接、労力を及ぼせる範囲には、当然ながら物理的な限界があります。

 その限界が、すなわち❝自然界によって規律されたリミッター❞です。

 しかし、「カネ」というものは、こうした歯止めや限界をまったく無視できるほど、便利であり、強力なのであります。

 

 それゆえ、あまりにも「カネ」を持ちすぎた大金持ちは、そのパワーに酔い痴れ、盲目となり、分を超えた振る舞いを犯しやすくなってしまうんですよね。

 知らず知らずのうちに、「リミッター」が外れて、何かが狂い始めてしまうのです。

 これほど恐ろしいこともじつはあまり無いでしょう。

 

 すべては、「カネ」が物理的影響力を離れたところで成り立っている形式的・人工的・規範的なエネルギーだからです。

 

 こういうのは本来、自然界の掟の枠組みの中には無いものなのですね。

 

 「猫に小判」っていうでしょう。

 

 猫に小判(すなわち「カネ」)を渡したって、言う通りにさせる強制力はありませんよね。

 これぞまさしく、人工的・形式的な概念であることの証拠です。

 人間界でしか通用しないんですから。

 

 したがいましてね、「カネ」というのは、物理法則の及ぶ範囲を「リミッター」に見立てて、❝ほどほど❞に、或いは、❝分相応❞に、持つのがよいものと考えられるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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