橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

神はサイコロを振らない

 アインシュタイン博士は、こう言いました。

 

 「神はサイコロを振らない。」と。

 

 これは、彼の、量子論に対する批判の言葉です。

 量子論は、物体を観測してみてはじめて、物のありようが決定されるんだ、としています。

 逆にいえば、観測されない限り物のありようははっきりしないんだ、どうとでも取れるんだ、と捉えている、ということになります。

 つまり、物というのは根本的に「確率的な存在」なのだ、という発想に立っているわけですね、量子論はね。

 アインシュタイン博士は、その辺の思考がどうしても気に入らなかったのです。

 それで、ああいう発言をしたのですね。

 

 私も同意見です。

 なぜなら、あまりにもおかしいからです。

 

 こう考えてみてはどうでしょうか。

 癌細胞って、ありますよね。それは、夜間に活動し、昼間は休んでいる、という性質があります。

 じゃあ、本人が眠っていて誰も付添人がいない場合は、それはどうなるのでしょうか?

 量子論がいうように、「確率の波」になっているのでしょうか。

 半分癌細胞、半分正常細胞になっているのか。

 でも、癌が「波」でしかないなら、どうしてあんなにも死亡者が多いのか。

 観測する・しないに係わらず症状が進行するからこそ、そうなっているんじゃないのか。

 

 或いは、じゃあ、受精卵はどうなるのか?

 観測する・しないに関係なく、どんどん細胞分裂していくからこそ、胎児になれるんじゃないのか。

 もし観測しないままであるなら、「波」になっていて、胎児が生まれない確率があるとでもいうのか。

 でも、べつに観測せずとも、ちゃんと胎児は新生児となって生まれてくるじゃないですか。

 

 人間の観測行為には、因果律を左右するほどの力は無いんじゃないでしょうか。

 

 不確定性原理*1は、人間の思い上がりでしかないのではないか。

 

 たかが人間ごときがガンマ線を当てたくらいで「サイコロ遊び」に追い込まれるほど、神様の造った自然界はやわじゃないと思います。

 

 粒子の運命を予測できないからといって、自然界のほうをイメージ的にイジっちゃったんですよね、量子論はね。「神はサイコロ遊びに興じている」と。

 

 でもね、誰が何と言おうと、物のありようは決まっているんです。

 

 神はサイコロを振らないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:物理学者のハイゼンベルグが主張した、ミクロ世界における粒子の動きについての考え方。粒子の速度と位置は同時には決定できないんだ、一方を測定すれば他方はぼやける(不確定になる)んだ、と解釈するのです。