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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

エロスとタナトスの匙加減

 「花より団子」っていうじゃないですか。

 ここでいう「花」とは、「理想」のことを指すと考えてもいいでしょうし、ここでいう「団子」とは、「現実」のことを指すと考えていいんじゃないでしょうか。

 そうだとすると、「花より団子」とは、夢とか理想ばかり追い求めていないで、もっと現実を見つめ直そうよ、といったような、じつは意外と深みのある言葉でもあったことになります。

 

 けっこう哲学的な教訓を含む言葉だったのです。

 

 ギリシャ神話に喩えるなら、「花」=「タナトス」、「団子」=「エロス」というふうに置き換えてもいいんじゃないでしょうか。

 「エロス」とは、❝現状維持の神❞です。

 だからこそ、それはダイレクトで判りやすい、現実的な刺激のことを指すのですね。

 一方、「タナトス」とは、❝変滅無常の神❞です。

 つまり、よくいえば、万物流転、生成発展ということになります。

 だからこそ、やや非日常的というか、夢のような、非現実的な刺激のことを指していると考えてよいでしょう。

 

 この点、人が「タナトス」ばかりを意識しすぎると、地に足がつかず、心が不安定になって、苦しくなりかねません。

 そこで、バランス上、「エロス」が必要となってくるのであります。

 

 所詮、どんなに理想を追い求めようと、どんなに修行を積もうと、人間は完璧になどなれないのであって、そういう不完全で未熟な存在なのであるから、異性の魅力に溺れ、惰眠を貪り、目の前の現実をただただ見つめ、地に足をしっかりと着けることもまた、生きるための大事な営為なのです。

 

 神様がそういうふうに人間を造ったのです。

 

 「花より団子」で苦しくなったら、「団子より花」へ移行すればいいし、逆に、「団子より花」で苦しくなったら、「花より団子」へ移行すればよいでありましょう。

 

 太宰治芥川龍之介川端康成などの作家が、思い余って自殺してしまうのはなぜかというと、いろいろあるでしょうけれど、一つには、あまりにも非現実的な世界ばかりを追いかけすぎて、地に足が着かなくなってしまったからでありましょう。

 

 だから、そういうときは、改めて現実をしっかりと見つめ直し、地に足を着けて、自分を取り巻く目の前のリアルな世界を大切にする必要があるのです。

 つまり、「花より団子」でいいわけ。

 刹那的というか、そのときそのときを面白おかしく過ごせればいいじゃないか、明日は明日の風が吹くんだから明日になったらまた考えればいいんだ、先のことなんか誰にも判らない、今が楽しけりゃそれでいいじゃないか、というような、短絡的ともいえる考え方を重視することも、ときには大事なのですね。

 

 所詮、人間なんてそんなに立派な存在ではないんだし。

 

 ときには愚かさにどっぷりと浸ってみる必要もあるのです。

 それが人間なのです。

 

 神様じゃないんだから、常に立派であり続けようとすると、神様から、「思い上がってはならぬ」と、制裁を課されてしまい、結果として苦しくなってしまいます。

 だったら、人間らしく、ときには愚かさにどっぷりと染まることも大事になってくるでありましょう。

 

 とはいえ、あまりにもズボラな振る舞いをしすぎても、身の破滅を招きかねません。

 ここはやはりバランスを取らなければなりません。

 

 愚か一辺倒でもいけないし、身の程知らずの背伸びばかりをし過ぎるのも良くない。

 

 「花」と「団子」、或いは「エロス」と「タナトス」、どちらを重視するかを、そのときそのとき判断し、より必要なほうを選び取るようにする。

 そういった匙加減が、じつに大事なのであります。