橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

事実認識と事実評価

 人間は、事実を認識するだけなら恐怖も陶酔も安心感も、なにも感じないでありましょう。

 なぜなら、脳内物質において事実認識を担当する情報物質は、グルタミン酸アスパラギン酸などの神経伝達物質だけだからです。

 事実認識は、それらが分泌されるだけでこと足ります。

 

 しかし、ここから一歩進んで、事実評価を生み出すためには、神経伝達物質だけでは足りず、さらに修飾物質というものが分泌される必要があります。

 これが、ドーパミンセロトニンノルアドレナリンなどのいわゆる脳内ホルモンです。

 

 それらが加わることによって、単なる事実認識がデコレーションされ、対象事実に評価が生まれることになります。

 たとえば、本来なら男性が女性を見たところで、それは「女の姿形をした単なる別の生き物」でしかないんだけれど、事実評価が加わることで、「美しい」とか「かわいい」といった感覚が生じてくるのです。

 

 この点、神経伝達物質と修飾物質は、脳内で有機的・複合的に組み合わされるものであり、どちらか一方のみを単独で分泌させることはできないものと思われます。

 

 そういう意味で、お釈迦様がいうように、人間は物事を正確には認識できていない、人間の脳というのはデコレーションされた世界像の作成装置にすぎない、という見解も間違いではありません。

 しかし、そこからさらに踏み込んで、人間の認識は歪んでいる、デタラメだ、この世はまやかしだ、真実は別の次元にある、的な考え方に傾倒しはじめると、途端にオカルト的な思想に陥ってしまうので、注意が必要でありましょう。