橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

建築の「消費・分解活動」的側面

 建築というものは、「芸術」的な側面もあるけれど、むしろ「消費・分解活動」の一環としての側面のほうが、メインなんじゃなかろうか、という気がします。

 どういうことかっていいますとね。

 人間は、荒野で風雨に晒されたり灼熱の太陽に照らされたりしながら暮らしていくのは、まず困難ですよね。

 また、男女の性的な営みやその他のプライベートな行為を外部から視覚的に遮蔽することも絶対に欠かせないでしょう。

 そうした必要性から、人間という生き物は、家、その他の建造物を作らなければなりません。

 

 すなわち、人間にとって建築は、必須の要素であるといえるのですね。

 

 そして、その建築を行う場合はね。

 「無」から「有」を作り出すことはできませんよね。

 必ず、自然界に散らばっているいろいろな材料を見つけてきて、加工して、組み合わせ、組み立てて、一つの建造物を構築していくわけですよね。

 その主な材料は、石だったり木材だったりします。

 

 それらを建物の材料に適合しうるように加工することは、イコール、採掘したり伐採したりすることであり、イコールそれは、地球そのものの「消費・分解活動」に該たるわけです。

 

 人間が生きていくためには必ず、建築をしなきゃならないので、人類がこの世に存在する限り、自動的に採掘・伐採は継続され、よってもって地球に対する「消費・分解活動」が円滑に機能する。ひいては、自然界の有機性・変滅性が維持されることにもなるのです。

 

 こう考えてきますとね。人間にとって建築というのは、「芸術」的な側面から捉えるよりもむしろ、自然界の自律性に資することを期待された「消費・分解活動」の担い手としての側面から新たに捉え直すほうが、より妥当であると考えられるのであります。