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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

人生とは客観と主観の間のずれを埋めていく作業である

 主観と客観とはずれているべきではありません。

 人間は、なるべくなら、その高度に発達した知能で真実(客観的事実)を正しく把握していかなければならないと思われます。

 もちろん、100パーセントすべてをいますぐ一致させるなんてことは無理でありましょう。

 しかし、私は、こう思うのです。

 

 人生とは、真実をどこまでも追求し、主観と客観との間のずれを埋めていく作業である、ともいえるのだと。

 

 その作業こそが、人間にとって大きな快感であり、喜びであり、幸福でもあるのですね。

 

 現実に、真実を掴み取ることのできた人はいきいきとしていて、いつまでも若々しいエネルギーに溢れています。

 

 人間の脳は、おそらく、真実を知ると、ドーパミンやエンケファリン、β―エンドルフィンなどの脳内麻薬物質を、とめどなく分泌するのだ考えられるのです。

 

 そうであるなら、です。

 「世界像なんて主観次第でいかようにも変わるんだ、世の中なんて確かなものなど何ひとつ無いまやかしの世界なんだ」とする、徹底した主観一元論の考え方は、妥当でないということになります。

 この説によれば、主観はいくら客観とずれていてもかまわないんだ、との結論に帰着しやすいでありましょう。

 

 しかしながら、さっきも述べたように、客観的真実を正しく知ることこそが人間に課せられた役割であり、だからこそ、β―エンドルフィンやドーパミンが分泌されるのであり、だからこそそれを実現するに足りうるほどの巨大な脳・高度な知能が与えられているのです。

 

 客観的真実とはそれくらい価値のあるものであり、絶対的なものなのですよ。

 

 たとえば、男性は女性の裸体を見ると興奮しますよね。これも或る意味、女性の裸という「真実」を知ることだといえます。だからこそ男性にとってはそれが快感なのでしょう。

 しかも、その快感は、対象が秘部であれば秘部であるほど高まってゆく。

 普段はあまり見る機会のないような女の秘密を見るということは、或る意味究極の真実を知るということでもあります。

  そう考えてくると、逆に女性のすべてを知り尽くしてしまったなら、もはや見るべき真実は残っていないということになり、それゆえ男性はその女性のことを「飽きる」というわけですね。

 その結果、男性は次なる真実を求めて走り出すのです。

 つまり、「目移りする」というわけですね。

 

 まあ、そういうのはほんの一例ですけれど、以上のように人間という生き物は、真実を知ることで快感や幸福を得られるようなプログラムがDNAにインプットされてしまっているものと考えられます。

 科学、芸術、宗教、哲学、政治、経済、その他のどの分野においても、この法則は当て該まるように思われます。

 

 真実を知りたいという抑えがたい欲求こそが、これらを発展させる原動力となってきたことは、疑いようのないまさに「真実」だといえましょう。