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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

生命は同時多発的に誕生した

 動物の最大の❝売り❞は、脳です。

 脳こそが、動物が動物たる所以なのです。

 それに対して、植物は、一応生物として自律的な活動はできるものの、動物のように動き回る能力は持っていません。

 つまり、脳を持たないのですね。

 

 そう考えると、脳というのはまさに、動き回るためのコントロール・タワーである、ということになります。

 

 しかし、植物に脳がなくても、動き回れなくても、彼らはその場に静止したままで生命活動を行うことができます。これだって、自然界の自律性に立派に貢献していることになるのです。

 

 さて、そう考えてきますとね。結局、動物だろうと植物だろうと、地球にたいする「分解屋」であることにかわりはない、といえましょう。

 動き回って分解するのか、はたまたその場に静止して分解するのか、という違いがあるにすぎません。

 ということは、どちらも「分解屋」という意味ではまったくの同列であり、どっちが高等だとかどっちが下等だとかの問題ではない、ということがみえてくるでありましょう。

 

 そう考えてきますと、進化の問題についても一つのヒントが浮かんできます。

 すなわち、動物と植物は、38億年前、同時多発的に誕生し、それぞれ独自のプロセスを経て進化していったのではなかろうか、と考えることもできるのです。

 

 地中深くには、なんと鉄を食べながら生息しているバクテリアがいることが、知られています。

 それは、生命は海から誕生したという通説的な見解とは必ずしも整合しない事実だともいえましょう。

 

 そうであるなら、地球の至るところで生命というものは同時多発的に誕生し、それぞれ独自に進化していったとかんがえるのが、とても自然な解釈である、ということになります。

 

 それが証拠に、生命というものは「地球分解屋」であると考えられ、水中にも、空中にも、地中にも、至るところに生息しているではありませんか。

 

 地球型惑星を消費・分解していくには、生物というものを誕生させ、彼らに「消費・分解活動」を担わせればよいのです。

 

 これはあたかも、太陽が水素原子の核融合反応によって自律的に「消費・分解活動」を行なっていることとパラレルな現象のごとくみえます。

 

 まあ、要するに、星は「消費・分解活動」を行うのであり、それが地球の場合は生物によって担われている、ということなのですね。

 生物が互いに持ちつ持たれつやっていきながら「消費・分解活動」を継続していきさえすれば、OK。

 脳があろうがなかろうが、そんなことは大した違いじゃないのです。

 

 動き回る生物なのか静止する生物なのかの違いをもたらすにすぎないのです。