橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

人間社会と女郎グモ社会の類似点

 ジェンダー論者やフェミニストといった方々は、かつての男性優位社会、封建的な男尊女卑思想に対して、強く反発しているようです。

 そして、ジェンダー論やフェミニズムのなかでは、それを実現するための有効な手段が、男女間の境界線を曖昧にする理論体系として表れています。

 それはあくまでも建前論だと思われるのだけれど、本題から逸れてしまうのでここではその中身については触れません。

 

 この点、確かなことは、現代にあっては封建主義や男尊女卑的制度は許されるべきではない、ということです。

 21世紀の、この立憲民主主義憲法下における男女平等原則は、いかなる理由があろうと守られなければなりません(日本国憲法第14条・法の下の平等)。

 

 ただ、そうはいっても、自然界の当たり前の法則たる生物学的な男女差までも否定してしまうのは、行き過ぎではないでしょうか。

 たとえ社会がそれを許したとしても、神様が許さないと思うんですよね。

 

 やはり、自然の法則には素直に従うほうがいいでしょう。

 

 女性やメジャーな勢力を怒らせると恐いですけれど、自然界を怒らせてしまったらもっと怖い筈ですから。

 人類など、神様がその気になれば、天変地異でも起こして一瞬で滅ぼす力を持っているのです(大袈裟ですけど)。

 だから、自然界にはきちんと恭順姿勢を示しておいたほうがいいのではないでしょうか。

 

 男女の性差は社会が作り出したものではなく、自然界が作り出したものです。

 そのことを素直に認めるべきだと思います。

 

 結局は女性のほうが強いんです。

 

 いまは「女性上位時代」なのですね。

 女性のほうが長生きするし、飛行機が墜落事故を起こしても生き残るのは女性のほうだし、冬の雪山で遭難しても生き残るのは女性のほうじゃないですか。

 

 女性のほうが強いのよ。

 これは生物学的にもそうだし、社会学的にもそうでしょう。

 文化的・文明的な成熟度の高い社会では、絶対に女性のほうが強い。

 だって、この、インターネットが世界の隅々にまで普及し便利で快適となったいまの時代においては、社会的発展についてはもはや頭打ちとなりつつあるから、男のやることなんて、もうそんなに残ってないですもん。

 

 こうなってくると、繁殖能力のあるぶん、女のほうがパフォーマンス的にみて上でありましょう。

 

 そういう社会においては、男がパフォーマンスできる機会は限られてくるけれど、女がパフォーマンスする機会はたくさんあります。

 

 だから女性のほうが立場上、強くなるのは当たり前なのです。

 

 女郎グモの社会とまったく同じなんですよ。

 

 女郎グモのオスを見たことはありませんか?

 女郎グモのオスって、びっくりするくらい、ちっぽけな存在なのです。

 体のサイズも蟻んコくらいしかありません。

 一方、メスはその何倍も体が大きい。

 

 女郎グモの世界では、社会的発展はもはや頭打ちです。

 

 だって、やることといったら、巣を張って獲物を待ち構えるくらいしかないんですから。

 こんなのはオスもメスも関係ありません。

 もはや社会的にはゼロ成長なのですね。

 

 したがって、オスなんてのは、いてもいなくても大して変わらないのです。

 

 唯一存在価値があるとすれば、それは❝種付け要員❞としてだけ。

 それゆえ、繁殖期を過ぎれば、オスはメスに食べられてしまうのです。

 

 役に立たない奴はいずれこうなります。

 

 よい子の教育には悪いかもしれないけれど、自然界の掟は厳しいのです。

 

 そして、人間の社会も、なんだか女郎グモ的になりつつあるような、そんな気がします。

 

 ただ、だからといって、性差までなくなることは、自然法則上、ありえないでしょう。