橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

進化はちょっとずつ行われる

 新しい種が誕生してしまうような突然変異というのは、ありえないと思われます。

 つまり、ダーウィンの進化論で説明される突然変異は進化の原動力ではない、と考えられるのですね。

 なぜならね。

 突然変異というのは、何の前触れもなく或る日突然に、遺伝情報が変わってしまう、ということでしょう?

 子供を産んだらその子がいきなり別の生き物みたいになっていた、ということでしょう?

 

 でも、ヒトではもはやそういうことは起こらない、と思うのですね。

 

 現在、人間というのはダイナミックな社会・経済活動が行えるのであって、地球に対する「消費・分解活動」はもはや最高レベルにまで到達している、と考えられます。

 ということは、もうこのまま人類の遺伝子というのは或る程度は安定してよい、ということになるのです。

 むしろ、突然変異が起きていきなり訳の判んない生物が人間の子供として生れてきたんじゃ、困りますよね。

 

 そういう進化の仕方って、人類にとっても、地球にとっても、あまり意味のあるものじゃないと思うんですよ。

 

 やはり、進化する意味があるケースというのは、環境の変化や技術の進歩があったとき、どう努力して、どう対応してゆくか、ということに直面するようなケースしかないでしょう。

 

 遺伝子というのは「行為類型*1」であるから、その地道な努力・行為の蓄積をまるで台無しにしてしまうような突然変異などという概念とはもともと、相容れないものなのです。

 

 進化は、突然変異でスパッ、と変わるのではなく、長い時間を掛けて、ちょっとずつちょっとずつ、行われるものなのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:たくさんのいろいろな行為を積み重ねていくうちに、いつしかそれが似通ってくる、という場合があります。そうした行為のエッセンスのことを、「行為類型」といいます。