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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

天才を天才たらしめているもの

 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品群を見ていていつも私が感じること。

 

 それは、「絵画とはパワーだ」ということです。

 

 絵の実力(うまいか否か)は、テクニックで決まるんじゃありません。

 

 パワーで決まるのです。

 

 パワーで圧倒することこそが、絵画芸術なのであります。

 

 パワーに満ち溢れた人が絵を描くと、とくにテクニックなど意識しなくても、自然に美しい絵になってゆく。

 そういう絵を描ける者こそ、天才なのです。

 

 レオナルドがまさにそうです。

 彼は途轍もないパワーに溢れていました。

 たとえば、『白貂を抱く貴婦人』を見れば判るんですけれど、あれは天才にしか描けない絵です。

 

 初め、私は、どうやって描き込んだのだろう、どういう筆使いで、どういう着彩方法を採ったのだろう、と推測してみたんだけれど、途中から、「関係ない」と思うに至りました。

 

 テクニックなんか関係ないんですよ。

 

 天才であるなら、描きたいように描きゃあいいだけのこと。

 描きたいように描けば、もうそれだけで、傑作の誕生です。

 天才の描く絵というのは、そういうものなんですね。

 

 パワーに満ち溢れているがゆえに、そのパワーが画材(絵の具)を通じて画布上に乗り移る。

 

 その乗り移った痕跡が、絵画であり、作品なのです。

 

 だから、テクニックなんか関係ないのです。

 

 レオナルドが絵画こそ第一級の芸術様式であると見做していたのは、そういう理由に基づいていたのですね。

 

 さて、そうであるならね。絵の最も有効な上達方法は何か、って考えますとね。それは、パワーをつければいい、ということになります。

 

 普段の生活のなかで、知識や教養、経験、人間性などを磨き、向上させていけばいいのです。

 ただそれだけのことです。

 

 天才と凡人の違いは、そこしかありません。

 

 日常生活の差なんですよね。

 

 身につけてきたものの差、蓄積してきたものの差なのです。

 

 そういったものの豊かさが、天才を天才たらしめているのであります。