橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

論文の気持ち

 今日、私は、自分が書いた論文を海外の雑誌に投稿してきました。

 投稿先は、ドイツの物理学専門誌『Foundations of Physics』という、オランダ人のノーベル物理学賞受賞者の方が編集長を務めておられる、タフな感じの学術誌です。

 

 とにかく、自分の持つすべての集中力を投入して、一生懸命書き上げた論文なので、必ずや、日の目を見るような結果になるだろうと信じます。

 

 それで、提出した原稿のステータス(進展具合)が掲示される欄がそのサイト内にあるのだけれど、そこには、一応いまは、「Editor Assigned」と記されているので、どうやら編集者が割り当てられた段階のようです。

 

 最終的な決定が下るのは、平均して46日後くらい、遅ければ90日後くらいになるらしいです*1

 

 ドキドキですね、もう。

 

 他のことは手につくのだろうか。

 自分でもわかりません。

 

 まあ、いちばん理想的なのが、予想外にスコッ、とゴールしちゃうことですよね、もちろんね。

 

 そうなったら、いろいろと動きだせるようになるし。

 

 あれをしよう、これをしよう、あの場所へ行こう、この場所へ行こう、あの人に会いたい、この人に会いたい・・・といったような計画は、私の中では、いまのこの大きな壁を乗り越えた先にこそ、あります。

 そうじゃないと、次なるアクションを起こせないんですよねぇ・・・。

 そこが、たまらなくもどかしい。

 

 ま、でも、どうせ成功するんだし、楽しみながら待ちますよ!

 

 

 さて、ところでね。私の書いた論文は(もちろん)英文なのだけれど、実際書き上げてみて、そして気付いたのです。

 一体、何に?

 

 論文の気持ちに。

 

 変な話だけれど、論文の身になって考えてみると、英語で書いてもらったほうが幸せなんじゃないだろうか、と気付いたのです。

 

 なぜなら、引き締まるからです。

 表現が、はっきりするのですね。

 たとえば、「時計仕掛けの有機体」という日本語を英訳してみたら、「clockwork organization」との訳語が出てきました(翻訳サイトexcite)。

 

 これには驚きましたね。

 日本語に比べれば、一歩踏み込んだ表現のような印象があるからです。

 思い切った表現、ともいえます。

 

 なんか、堂々と言い表わすのが、英語なんですね。

 

 だから、不思議と、私の論文が、訳す前よりも訳した後のほうが読みやすくなったのです(科学的には)。

 

 これは予想していなかったことです。でも、書いてみてはじめて、そのことが判りました。

 

 

 論文さんは英語で書いてあげたほうが喜ぶのだ、と気付いたんですよ。

 

 科学論文に限っていえば、英語のほうが似合うのです。

 

 英語で書いてあげないと、論文さんが悲しみます。

 なぜなら、論文の本当の良さを引き出してあげられないからです。

 

 日本語で書かれた論文では、自然のメカニズムが必ずしも正確に伝わりません。

 日本語は、あまりにも情緒的すぎるのです。

 ムラ社会の中で、日常生活を送るぶんには、情緒的だろうが以心伝心だろうが、べつに困りはしないんだけれど、そこから一歩踏み越えて、学術的内容を伝える場面になると、日本的なグダグダしたきめ細かい表現は役に立ちにくくなります。

 

 科学論文は、もっと非情で、ハードボイルドで、論理的(数学的)な、乾いた表現の文体であるべきなのです。

 

 

 だからこそ、英語が適しているような気がするのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:✽ 後に、オープン・アクセス・アーカイブである『viXra.org』にて掲載が決まりました旨、申し添えておきます。掲載論文はこちらでご覧いただけます。

Unified Description of All Force, viXra.org e-Print archive, viXra:1603.0423

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