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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

エンターテイメントは死んだのか

 果たして、エンターテイメントは死んでしまったのでしょうか?

 もしこのまま少子高齢化が進み、経済のパイが縮小し続けるなら、必ず、エンターテイメントは死ぬでしょう。

 

 そもそも、「エンターテイメント」とは何か、といったら、それは「余裕」だと思われます。

 

 何についての?

 

 エネルギーについての、です。

 

 大衆一人ひとりに「余裕」があって、エネルギーが有り余っているような状況であるなら、エンターテイメントは生き続けます。

 

 「衣食足りて礼節を知る」みたいなものでしょうね。

 

 そういったものが足りていて、若さがあり、体力があり、お金があり、好奇心がある・・・・・・そうなってはじめて、人々はエンターテイメントを求めるのでありましょう。

 

 したがって、歳をとり、体力が失くなり、労働収入が断たれ、人間や世の中に対する好奇心も費えてしまった人たちが社会におけるメジャー層となっているなら、もはやエンターテイメントは求められなくなってしまうのです。

 

 作家の橋本紡さんは、SNSを通じてこう発言しておられました。

 

 「エンタメ小説は死んだ」と。

 

 そして、その原因については、やはり経済のパイが縮小したことに伴って、小説の市場も縮小化したからだ、という認識に立っておられるようでした。

 

 まったくもって、その通りでしょう。

 もはやその事実は疑いようのないものとなりました。

 

 したがって、少子高齢化そのものをなんとか解消しない限り、経済市場の拡大、ひいてはエンターテイメントの勃興は不可能であることになります。

 

 天気予報を見ると、よく「天気図」が出てきますよね。

 そこには、高気圧や低気圧などが分布しています。

 それはいわば、天界に「メリハリ」が出来ている状態です。

 この「メリハリ」があるからこそ、雨が降ったり風が吹いたりと、勢いのあるムーヴメントが発生するのですね。

 

 人間界も同様だと思います。

 「メリハリ」があってはじめて、「エンターテイメント」という名のグルーヴが生まれるのです。

 

 昔のエンタメ界にはそれがあったけれど、今はそれがありません。

 

 スーパースターの独立問題をみてもそれが窺えます。

 昔のスーパースターは、円熟期を迎えると、大抵、独立プロダクションを起こしていたものでした。

 たとえば、阪東妻三郎さんは阪妻プロ、片岡千恵蔵さんは千恵プロ、石原裕次郎さんは石原プロというように、です。

 

 それが可能だったのは、それが許される社会状況だったからです。

 

 でも、今はもう時代状況がその当時と全然違います。

 今回のSMAP独立問題の報道を見てもそれは一目瞭然です。

 木村拓哉さんは「キムタクプロ」を起こすのかっていえば、そうはなりにくいでしょう。

 

 国民的スター・グループである彼らですら新しい支流を付け加えることが叶わないのだから、今の時代は、もうそれくらいにまで経済のパイが縮小してきている、ということなのでしょう。

 

 

 やはり、「高気圧」と「低気圧」とに、分極化していく必要があるんじゃないでしょうか、社会そのものをね。

 

 勢いを生み出すためには。