橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

扉の向こう側

 人生を「道」に喩えるなら、その「道」を或る程度進んでいった先には、「扉」があるような気がします。

 

 それで、その「扉」が目に見えて近くなってくると、なぜかワクワクするんですよね。

 

 そういうことが、人生において、何回かあるような気がするのです。

 

 そして、自分はここへ来るためにいままで生きてきたのかもしれない、みたいな気持ちにすらなることがあります。

 

 なぜなら、その「扉」の向こうに見えている世界が、あまりにも広いからです。

 

 たとえば、ローカル線を乗り継いで東京まで来て、そこからさらに小田急線で湘南・鎌倉エリアまで足を延ばし、海岸に降り立って眼前に広がる太平洋を望む、みたいな感じ。

 

 あくまでも、イメージですけれどね。

 

 私の過去の経験でいえば、ひょんなきっかけで知り合った方からの紹介で、或る画家の方のアトリエにお邪魔したときに、そのような衝撃というか、驚きというか、とにかく「いままでと同じじゃないな」といった印象を強く持ちました。

 

 いつの間にか自分が「扉」の目の前まで来ていて、しかもそれが開いていた。

 

 そこから見える風景は、途轍もなく広大な世界のように思えた。

 

 それで、むちゃくちゃワクワクしたんですね。

 

 これ、たぶん、作家の太宰治と逆のパターンだと思います。

 彼は、「すべては、続いてゆく。」と言い残して、のちに死んでいきました。

 つまり、「続いてゆく」ことに嫌気がさして彼は死を選んだことになります。

 

 でも、それは神様の懐の深さを誤解しているんじゃないでしょうか。

 

 人生はマンネリズムではありません。

 

 同じような毎日が続きそうな気がするのは、気のせいです。

 

 神様が用意してくれる楽しみには限界が無い。

 いや、あるんでしょうけれど、一人の人間が生きている間に経験できるレベルでみるなら、それは「無限」といってよいでしょう。

 なぜなら、一生かかっても味わい尽くせるものではないからです。

 

 もう出尽くしただろう、もう出尽くしただろう、と思っていても、まだまだ次が出てくる。

 

 「ネクスト」は無限に出てくるのです。

 

 いつでも変化を導けるんですよね、人生ってのはね。

 

 そのくらい、生きるということは素敵なことなのです。

 

 

 「扉」が目の前に現れたとき、不思議と、そう思えてくるのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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