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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

時の流れ

 憲法を勉強していると、「全体的考察方法」とか、「相対的わいせつ概念」といったテクニカルなタームが出てきます。

 

 これはどういうことかっていうと、物事の当否については、ただ単体として考えるのではなく、あくまでも他の要素との対比や関係性とともに、全体的・総合的に考慮すべきである、ということなのですね。

 

 だから、たとえば「わいせつ性」に該当するか否かについても、そうやって全体の流れの中で考えていくべきである、ということになります。

 

 さて、それと同様にね。時の流れも、他の要素(昔のビートの記憶)との関係性の中で、総合的、相対的に、速いのか遅いのかが決定される、ということになるでありましょう。

 

 たとえば、テンポの速い曲を聴いた後に、テンポの遅い曲を聴くとどうなるでしょうか?

 おそらく、やけにテンポが遅く聴こえる筈です。

 その、やや遅めに聴こえた筈の曲だって、普段単独で聴いているときなら、それほど遅いとは感じないでしょう。

 なのに、テンポの速い曲を聴いた後だと、遅く聴こえてしまいます。

 なぜなのでしょう?

 

 それは、こうです。まず、速い曲を聴いたときに、脳はそのビートの刻み方を覚える。そして、それをまだ忘れないうちに、それとはテンポの異なる別の曲(遅い曲)を聴く。

 すると、脳は「あれ?さっきよりビートが遅いな」と感じる。

 

 これは、脳がビートの刻みを覚えているからこそ可能な感覚です。

 

 さて、そう考えてきますとね、子供の頃に比べて大人になってからのほうがやけに時間が経過するスピードが速いと感じることについても、答えがみえてくるんじゃないでしょうか。

 つまり、です。子供のときは、脳がまだ未発達で、神経細胞ネットワークもまだ広くはありません。

 だから、神経回路を駆け巡るインパルスも、それほど頻度が多くありません。

 そうすると、そのインパルスの刺激を脳内のどこかで感知するところがあるとするならば(体内時計)、そのインパルスのビートの刻み方をそこが覚えている筈です。

 

 一方、大人になると、神経回路網がどんどん増えて、より広範囲に張り巡らされるようになります。そのため、脳のあちこちで興奮が起きてきます。

 そうすると、インパルスのビートの刻み方は、かなりの超高速断続ビートとなって、体内時計に感知される筈です。

 

 それによって、脳は、「おっ、時間が経つペースが速いな」と感じるのではないでしょうか。

 

 

 要するに、同じ「24時間」という時の流れであっても、脳の感じ方次第によって、速くもなるし遅くもなる、つまりは「相対化される」というわけなのですね。

 

 同じテンポの曲が、どういう曲の後に聴かれたかによって感じ方が「相対的」になる、ということです。

 

 

 時の流れは必ずしも一律なわけではない、ということがいえるでありましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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