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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

試練と豊かさは同義である

 いまの自分が貧しいとか、何も持っていないといった考えは、勘違いに基づいています。

 たとえば、全財産が150円だったとしましょうか(話を判りやすくするために極端な金額に設定してあります)。それは「貧しい」のでしょうか?

 

 (哲学的に考えれば)答えは「否」です。

 逆なの。

 「豊か」なんですね。

 

 なぜなら、それは神様からの信頼の表れであるといえるからです。

 

 どういうことかっていいますとね。

 この世は、バランスで成り立っています。

 

 ゆえに、社会全体におけるお金やエネルギーについては、「組成」というものがあることになります。

 全人類の中で、構成員それぞれに持ち分が割り振られるようになっているのだけれど、その比率は一律ではなく、多い人もいれば少ない人もいるというように、個人差があるのです。

 

 したがって、いくら神様といえど、全員に溢れんばかりの財産を平等に分配することはできない、ということになりましょう。

 「あちらを立てればこちらが立たず」というわけです。

 

  でも、神様は、一人ひとりの性質や能力をちゃんと配慮してくださっていて、大器晩成タイプの人だとか、いまは貧しいけれど真面目に努力しているといったような、前向きな人に対しては、絶大なる信頼を寄せてくださっているのであります。

 

 「こいつはいずれ、やる男(女)だ」と、信じてくださっているからこそ、その人の直近の豊かさについてはとりあえず❝お預け❞にしているにすぎないのです。

 

 まあ、「後で必ずお前の順番が回ってくるときが来るから、それまでは精進せよ」との、ありがた~いメッセージを神様が発してくださった、ってことですよ。

 

 ってことは、それは神様が与えてくれた❝将来の成功の約束手形❞みたいなものなのであり、そうであるがゆえに、その150円は「豊かさ」そのものである、といえることになりましょう。

 

 「所持金が150円しかない」じゃあないんです。

 

 「所持金が150円もある!」と捉えるべきなのですね。

 

 それは「豊かさ」なのです。

 

 誰にも負けないくらい「豊か」なの。

 

 神様が他の誰よりもこの俺を信頼してくれているからこそ自分は大器晩成タイプなんだな、と思っておけばよろしいでしょう。

 

 この世においてそれ以上の「豊かさ」はありますまい。

 

 さて、そうであるならね。

 「試練」って、じつは「豊かさ」と同義である、ってことになりましょう。

 

 なぜなら、信用度の低い者にそのような❝お預け❞の矢面に立たせるような役目を任せられないでしょ、全体との兼ね合い上。

 「こいつは根性ないから、ダメだな」っていうタイプに対しては、神様は役目を任せたりはしません。

 テキトーに処遇する筈です。

 つまり、人一倍大きな「試練」を与えたりはしないのです。

 

 逆にいうと、いま苦難に直面していている人はなぜそのような「試練」を課せられたのか、っていえば、それは彼がデキる男で、きちんと役目を果たせる人物である、と神様が信頼したからだということになります。

 

 それって、凄いことなのですよ。

 

 だから、「貧しい」なんてことがあるわけないんですよ。

 

 「豊か」に決まっているの。

 

 

 ま、要するに、纏めるとですね。

 何か苦しいことや辛いことがあったときでも、それは「苦しみ」なんじゃなく、「試練」なのであり、その「試練」も、よく分析してみると、じつは「試練」なんじゃなく、「豊かさ」そのものなんだ、ってことですよね。

 

 なぜなら、神様が大きな「試練」を与える対象は、信頼度の高い人物に対してだけだからであります!

 

 嬉しくないですか?

 

 それほどまでに信じてもらえてたのか~!、って思うでしょう?

 

 

 

 はい。そういうことです。ありがたいことでございます。