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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

「感情」

 「感情」の対象となる情報は、或る程度具体性を持った情報のような気がします。

 

 なぜなら、具体的なものは、一義的に内容を把握しやすいからです。

 具体的であれば具体的であるほど把握しやすい。

 

 したがって、具体的なものほど、「感情」が生まれてくる土台となりやすいことになります。

 

 一方、逆に、抽象的な情報というのは、内容を一義的に把握しずらい。

 ゆえに、「感情」の対象とはなりにくい。

 

 ということは、です。抽象的、イメージ的な情報をストックしている右脳では、「感情」というものは扱われない、との結論が導かれることになりましょう。

 

 このことはちょうど、憲法の内容が抽象的な規範であるがゆえに、裁判規範性を直ちには持ちえないけれど、憲法規範を立法府によって解釈・実施し、具体的規範たる法律を新たに立法するならば、それによって内容を一義的に把握できる裁判規範性を持つようになる、ということと似ています。

 

 このように、抽象的な情報を扱っている右脳では、「感情」は生まれず、具体的な情報を認識できる左脳でないと、「感情」というものは生まれてこない、といいうるのです。

 

 ま、考えてみりゃそうですよね。右脳というのは、人類500万年ぶんもの膨大な情報量をストックしています。それゆえ、イメージというかたちに抽象化・類型化しなきゃ、とてもじゃないけれどストックできません。

 ということは、「感情」なんてものは扱っている暇が無い筈です。

 

 一方それに対し、左脳にストックされているのはたかだか数十年ぶんの少ない情報なので、「感情」を扱うゆとりは十分にあります。

 

 

 したがって、「感情」は左脳で扱われる、ということになります。

 

 

 そう考えるのが論理的だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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