橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

性善説VS性悪説

 性善説性悪説の対立が、古くからありました。

 

 人間とは果たして、善なる存在なのか、それとも悪なる存在なのか、という問題ですね。

 

 一体どちらが正しいのかということについては、いまだに決着をみない難問となっています。

 

 この点、私のエネルギーに関する理論を応用することで、ひとつの答えが見えてくるように思われます。

 

 まず、私の見解では、人間とは本来エネルギッシュな生き物である、とされています。

 

 なぜなら、「地球に対する大規模な消費・分解活動の担い手」が、この星にはどうしても必要であると考えられたからです。

 

 そう考えると、そこから「苦しみ」の本質という点について、徐々にみえてくる事実があります。

 

 すなわち、エネルギーを出し惜しみして、本来の活動能力をフルに発揮しないからこそ、その人はいま苦しんでいるんだ、との結論に達したというわけです。

 

 さて、そうであるならね。そこから、「神様の制作意図」みたいなものが、だんだん明らかになってくるような気がします。

 

 つまり、神様は、人間にエネルギッシュに活動してほしくて、我々を創造しなさった、との答えが浮かんでくるのです。

 

 

 手抜きする人生など歩んでほしくない、とお考えなさっているんですよ、神様はね。

 

 

 エネルギーをケチったり、手っ取り早くラクになろうと振る舞ったりすることすべてを、神様は嫌っておられる、と考えることができるでありましょう。

 

 すなわち、誰かの悪口を言ったり、嘘をついたり、愚痴や泣き言、文句ばかりを言ってほしいがために人間をお造りなさったわけではない、ということなのですね。

 

 

 「悪人」として人間を創造したんじゃないんですよ。

 

 

 もともとの意図としては、「善人」としての働きを期待して、神様は人間をこの世に生み出したのです。

 

 

 人間とは、本来、「善」なる存在なのであります、理論上はね。

 

 

 そう。性善説が正解だったのです。

 

 

 ついに決着じゃないですか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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