橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

悪人と罪人

 人間の性質は、本来「善」であります。

 

 ただし、世の中には、悪事を働いてしまう人もなかにはいます。

 

 彼らは「悪人」なのでしょうか?

 

 難しいところだけれど、ちょっと違うような気もしないでもありません。

 たとえ罪を犯した人であっても、警察に捕まり、刑務所に入れられ、厳しい労働に従事すれば、エネルギーを出せるからです。

 罪を償うためにエネルギーを出せば、彼らも(理論上)「善人」になる余地もあります。

 

 「罪人」ではあるけれど、「悪人」とはちょっと違うんですね。

 

 なぜなら、神様は人間を「悪」として造ったわけではないからです。

 

 本来は、人間は「善」なる存在だからなのですね。

 

 ただ、だからといって、犯罪を犯したい放題犯してよい、と言っているわけではありません。

 刑務所に入ってからエネルギーを出すくらいなら、初めから真面目に働いて出すほうが、その人の経歴に傷がつかないぶん、遥かにましでしょう。

 

 とはいえ、犯罪者の人権を声高に主張するつもりはないし、「加害者にもそれなりの事情があってのことだ」とか「被害者側にも責任の一端はある」というようなことを言いたいわけでもありません。

 

 これは本質論を述べているのです。

 

 人間はもともと「善」であり、日々の活動に手を抜いてはいけない存在、すなわちエネルギッシュな生き物なのであるから、怠けることで「苦しみ」が発生するのも、メカニズムとしてはごく自然なことです。

 

 犯罪も怠惰のうちです。

 

 でも、刑務所に入って苦労するくらいなら、初めから真っ当に働いてエネルギーを出したほうがいいのです。

 

 

 人は誰も皆、生まれながらにして「善」なのであり、性善説こそが正解であると考えられるからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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