橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

カタルシスはヤバい?

 カタルシスは、ヤバいです。

 

 どうヤバいかといいますと、抵抗が効かない点で、(男としては)ヤバいのです。

 

 男性のなかには、決して涙を見せまい、と思っている人も多いんじゃないでしょうか。

 

 私も、そっちのタイプです。

 どんなに辛く、悲しいことに見舞われても、絶対に弱音を吐きたくないし、ましてや、泣きたくなどありません。

 

 ところが、人生、いろいろあるもので、ときには努力がなかなか実らずに悔しい思いをさせられることもあるのですね。

 そればかりか、他の人たちがなんとなくトントン拍子で成果をあげていっているようにも映ったりする場合もあります。

 ときとして、自分が情けなく思えてきてしまうことも、多々あるのです。

 

 そうはいっても、先述したように、泣いたりなどしたくないわけですよ。

 

 それでそのまま、本人ですらその気持ちを忘れてしまうくらいの、長い年月が経過して、或る時、ふとした拍子に、カタルシスを喰らってしまう瞬間があったりするのです。

 

 まるでイソップ童話『北風と太陽』において旅人が北風からどんなに強烈な攻撃に晒されても耐え抜いてきたのに太陽から暖かく照らされた瞬間に「参りました!」ってなっちゃったのと同じように、いままでどんな修羅場を味わわされても絶対に泣くことなどなかったのに、自分の行いや気持ちを理解してくれて、尊重してくれて、肯定してくれたりするような、そんな暖かみのあるストロークを打ち込まれたりしてしまうと、それはもう完全にカタルシスになるわけです。

 

 そうなると、もう、ヤバいです。

 

 涙が一気に、どおおおぅっわ~、って溢れてきて、とめどなく流れ落ちる、みたいな、そんな感じになってしまうのです。

 

 自分なりに一生懸命頑張っているつもりなのに、思うような成果を得られていない今の状況が、悲しくて、きっと心が知らず知らずのうちに傷ついていたのでしょう。

 そして、涙が溢れてきたことで、その事実に初めて気付いた、みたいな。

 

 

 才能のある人を、私は愛します。努力している人もまた同様です。

 そういう方たちが、紆余曲折を経て、一流パフォーマンスを見せてくれたりしたとき、それが感動的で、カタルシスで、涙が出るほど嬉しかったりもします。

 

 そこに自分自身を重ね合わせ、共感できるような気持ちにさせてもらえたことが、泣けてくるくらい嬉しいわけですね。

 

 その涙は嘘偽りの涙ではありません。

 涙は嘘をつきません。

 

 自分はいままで、屈辱と悔しさを味わってきた。それが浄化されて涙になった。

 

 次から次へと溢れてきて、止まらなかった。

 

 

 だから、それは嬉しい反面、相当、ヤバいのであります。