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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

「痛み」というもの

 「痛み」とは、一体、何でありましょうか?

 

 私はかつては、それを「二極間ないし多極間に作用する引力の消滅に伴うエネルギーがもたらす感覚」であるというふうに考えていました。

 その基本的な考えはいまでも変わらないのだけれど、もうちょっと別の表現をすることもできるような気がします。

 

 すなわち、それは、「有機性の崩壊に伴うエネルギーによって惹き起こされる感覚」である、ということができるでありましょう。

 

 どういうことかといいますとね。

 

 人体はひとつの有機体です。

 

 だから、体のほんの一部分を傷つけても、それは有機体の一部を傷つけることを意味するので、当然、そこに「痛み」を感じることになります。

 

 逆に、「痛み」を感じるようなことというのは、有機性を崩すほどの罪深い行為であると考えられるのであり、そうであるがゆえに、人間や動物にとって痛いと感じるような嫌な感覚が与えられるのだといえましょう。

 

 じゃあ、なぜ、人間の体一部分を傷つけると有機性の一部的崩壊に繋がるのでしょうか?

 それは、人間はもともと一個の生殖細胞(受精卵)だったのであり、現在の体はそれが形を変えて現われ出たものである、と見做せるからです。

 

 もともと一個の細胞が、細胞分裂を繰り返して、現在の60兆個にまで増えたわけだけれど、ひとつひとつの細胞はすべて同じDNAであり、いわば「コピー」が60兆個になっただけなのですね。

 

 ひとりの人間が持つ細胞というのは、全部で60兆個もありながら、DNAの側面からみた場合、種類はたったの一種類なのです。

 

 別の人間の別の種類が複数くっついて60兆個を構成しているわけではありません。

 

 たった一種類のDNAをもつ細胞が、同じDNAでありながら、体の各器官の違いに応じて、スイッチをONにしたりOFFにしたり・・・というのをいろいろ組み合わせて、多様性を作り出しているのです。

 

 しかしながら、あくまでもDNAそのものは、もともと同じなのです。

 

 同じDNAから多様性を作り出し、それらを調和させて、ひとつの有機体にまでまとめ上げたものが、人間の体なのであります。

 

 だから、その人間の体の一部を傷つけることは、有機性を一部崩すこととイコールなのです。

 

 

 そうであるがゆえに、それは罪深い行為なのであり、したがって「痛み」を伴うものになっている、というわけなのであります。