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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

『あらゆる力の統一的記述』 【掲載論文・和訳】

 概要.

 

 この宇宙は、いわば「時計仕掛けの有機体」である。

 全宇宙を「時計」に見立てるなら、それを構成する各「部品」は、個々の物体(銀河、星、分子、原子)がそれに相当することになる。それらは、有機体の構成員であるためには、個性を備えていなければならない。サイズ、質量、速度などにおいて、固有の特徴を持った存在同士が一つの枠組みの中で調和することで、この宇宙は存続していくことができる。自然界は、そういった調和原理で成り立っているのである。

 そうであるなら、そのような調和の仕組みを解明することこそが、物理科学の主たる目的でなければならないだろう。

 たしかに、物理学者たちは、近接作用というビジョンのもとで、その調和の謎に鋭く迫ってきていた。しかし、その試みは成功しなかった。そのような取り組みは、たしかに一部においては有効だったかもしれないが、もしかしたら、自然の本当の姿を捉えきれていなかったのかもしれないのだ。

 そこで、私は、独自に遠隔作用という視点に立って研究を進めてきた。

 この世の各構成員は、遠隔作用で力を及ぼし合うことで互いに調和している、と考えて、新たに「関係性物理学」を生み出したのだった。

 そして、それにより、自然界に存在するあらゆる力を一つの枠組みの中で説明することに、成功したのである。

 

 1.

 

 自然界は、ずっと昔から、たった一つの方程式で記述され得るほどの、シンプルな法則で成り立っている、と考えられてきた。現在では、自然界は4つの力で規律されている、といわれている*1。そして、重力、電磁力、強い力、弱い力の4種類に分かれてはいるが、それらはもともと一つの力だったと推測されてもいる*2。それゆえ、4つの力を統一的に捉えるための試みが、科学者たちの間でなされてきた。

 しかし、現代物理学の通説である近接説による統一の試みは、未だに行き詰まったままだ。

 そもそも、「力」とは何か、「エネルギー」とは何かという点は、長い間、大きな謎のままであり、そのことが多くの物理学者たちを悩ませてきた。彼らは、それについての典型的な答えを構築してきた。

 それが近接説だった。たしかに、それは真理を解釈するための優れた方法論の一つだった。力が空間を伝わるためにはそれを媒介する「場」がなければならない、との発想は、波を伝える水面や音を伝える空気といった媒質から類推してみれば、とても自然な帰着ではあった。

 そうした前提に立つなかで、古くから、力の源を粒子の交換というモデルで捉える見解が支配的だった*3。電磁力の源は光子*4のやり取りであるし、重力の源はグラビトン*5のやり取りである、と考えられてきた。

 しかし、それらは未だに観測されていない。ゆえに、それらが発見されない限り近接説が正しいとはいえないのだ。

 一方、遠隔説の正しさを検証するためには、何らの技術的発見も要しない。そうした点に鑑みても、我々が近接説から遠隔説へと転向すべき価値は、大いにあるのである。

 では、ここで、近接説と遠隔説の違いについて触れてみたい。

 近接説は、「交換力」というモデルで力を扱う。それゆえ、そうした交換のためのゲージ粒子*6の往復運動という概念をどうしても想定しなければならなくなる。そして、往復運動は時間を要する。したがって、近接説においては、力の伝達には、有限の速さを伴う、という扱いがなされるのだ。

 古典物理学は、運動方程式*7の誕生以来、物体の運動に着目することを研究の主眼としてきた。その本質は「運動モデル」だということができる。そうしたモデルは、物体の位置や速さが連続的に変化するさまを記述するのに適しているから、物体相互間における力の伝達についても、有限の時間を伴った近接作用である、との扱い方に馴染みやすい。ゆえに、古くから、力が近接作用で伝わるためには、それを媒介する媒質がなければならない、と考えられてきた*8。力はそこに乗りながら、時間を掛けて、少しずつ空間を移動していく、と予想されていた。

 ところが、1887年に、マイケルソン・モーリーの実験によって、エーテルの存在が否定された*9

 こうなってくると、物理学者は、媒質を介さずにエネルギー(光や重力)が及ぶ仕組みを、むしろ遠隔作用としてモデリングすべきだといえよう。物体相互の間を大きく隔てている空間内を、エーテルゲージ粒子も媒介することなく、時間を掛けることもなく、無限大の速さで、力が伝わる、との描像を新たに理論化するのが、科学的には素直な態度であろう。

 そこで、私は遠隔説に立ち、直感的に、エネルギーが「物体と物体の間を結ぶ関係性」であるとの仮説を導き出したのだった。これを、私は「関係性理論」もしくは「関係性物理学」と名付けたのである。

 

 2.

 

 では、その論旨のイメージを説明していこう。

 この理論は、「関係性」というモデルでエネルギーや力を扱う。

 力やエネルギーは物体と物体の間の「関係性」であるから、何も無い真空中でも、遠隔作用で(0秒および無限大の速さで)伝わる、と解釈するのだ。

 その作用イメージに対して、通説に立つ人々は難色を示すであろう。しかし、「関係性」が媒質を伴わずとも成立することは、理論上、明白である。

 遠隔説を前提とした場合、たとえば男と女の間の「関係性」は、「関係当事者」である男と女がその場で対峙しさえすれば、ただそれだけで「異性関係」が成り立つ。たとえ真空中(宇宙空間)であっても、だ。遠隔説に立つからこそ、そのような結論を出せるのである。

 一方、近接説に立つと話は違ってくる。たとえば、「ヒトフェロモン」とは「匂い物質」であるとする生物学における説がある*10が、そうした説に立ったうえで、さらに近接説の論旨と併せて考えてみると、矛盾が生じることになる。もしフェロモンが匂いの粒であるなら、宇宙空間ではそれは伝わらない、ということになってしまうのだ。なぜなら、無重力空間では匂いの粒は衣服にへばりついたり空中を浮遊したりするだけで、相手の肉体にまで届かないからだ。

 しかし、それでは、実際に男と女が対面しているのに、性的特徴を認識づける情報(=フェロモン)が伝わらないがゆえに、「異性関係」が不成立ということになってしまう。すなわち、2人の関係は理論上は「同性関係」とも「異性関係」ともいえぬ奇妙な状態であることになってしまうのだ。いうまでもないが、それはおかしいのだ。宇宙空間では男女は決してときめかない、という結論になってしまい、不合理だからである。

 したがって、男と女が宇宙空間で対峙したなら、遠隔作用でエネルギー(魅力=フェロモン)が伝わる、と解するのが、感覚的には素直なのである。

 それらは実験で容易に決着を着け得ることでもある。すなわち、遠隔説と近接説のどちらがより妥当であるかは、そのような宇宙での対面実験で明らかになる、ということだ。

 その具体的実験方法は、次のような内容である。

 

 1.モテる男女を地球上で対面させて、それぞれの脳がどのように興奮するかを、fーMRIを使って調べる。

 2.疑似的な宇宙空間(真空および無重力状態)を作出したうえで、1で行なったのと同じ被験者で同じ調査をする。

 3.加えて、2での実験においては、男女はそれぞれ宇宙服を着用する。

 

 もしヒトフェロモンが匂い物質であるなら、たとえ体からそれが放出されたとしても、宇宙服の厚い生地を透過できない筈だ。よしんば宇宙服の外側へ出られたとしても、無重力空間を匂いの粒が伝わるのは困難だし、仮に伝わることができたとしても、相手の宇宙服という障壁がまだ残っているので、結局、異性の体まで到達できないであろう。

 したがって、男女は互いのフェロモンを感知することができず、それぞれの脳が興奮するような結果にはならないのだ。地球上ではときめいていた男女が、(疑似的)宇宙空間へ来るとときめかなくなってしまう、という結果になるのである。

 近接説に立つ以上、必ずそのような結論になる。もしそれ以外の結論を採るなら、それは論理矛盾になってしまうのだ。

 一方、遠隔説に立つと事情は違ってくる。

 私は、モテる男性のフェロモンの正体は(近赤外線*11のような)「エネルギー」である、と考えている。それは、厚い壁を透過する。モテる男のフェロモンは、瞬時に、かなりの高速で、宇宙服を透過し、女の体に到達するであろう(もし両者が宇宙服を着ていなければ、フェロモンはたとえ真空中でも無限大の速さで伝わり、女の体に及ぶ筈である)。それゆえ、女の脳の状態をfーMRIで測定すれば、それが反応していることを確認できるであろう。そうした結論は、遠隔説だけが採りうるのだ。

 近接説は、媒質(場)というモデルに馴染む理論であるから、その機能を阻害する宇宙服や無重力空間のようなものに遮蔽されてしまっている状況下では、無力なのである。

 したがって、近接説はそうした実験では不利であることが判るであろう(興味深いことに、ヒトフェロモンもグラビトンと同様、未だ発見されていない)。

 イメージ的には、宇宙空間で男女が向かい合えば、たとえ両者の間に何の媒質も無くても、直ちに性を認識づけるエネルギーが互いの身体に到達し、恋をさせる、と考えられるのだ。

 以上のように、力の伝達と遠隔説とは、論理的にフィットしやすいものであることが、判るであろう。

 

 3.

 

 では、さらに論証を深めていこう。

 関係性理論では、力を伝えるための媒質は不要だが、その代わり、力を構成する「関係当事者」という概念が必要であることになる。たとえば、地球と月との間を構成する重力においては、地球と月が「関係当事者」だ。或いは、金属と磁石の間を構成する電磁力においては、金属と磁石が「関係当事者」だ。或いは、男女間を結びつける恋愛関係においては、男と女が「関係当事者」だ。

 そのような「当事者」というものがなければ「力」も生じない、と捉えるのが、関係性理論の立場なのである。そして、それらは2つ以上でなければならない。

 そうであるなら、弱い力は「関係性」だとはいえないことになる。なぜならば、(近接説によれば)弱い力はウィークボソンそのものであり、それがたとえば中性子を崩壊させる*12のであるが、そこには「当事者」らしきものが中性子ひとつだけしか見当たらないからだ。関係性物理学では、力が働くためには「何かと何か」が必要なのだが(すなわち、中性子の他に「何か」が存在していなければならない)、弱い力の類型においては中性子以外には「当事者」が何も存在しない。つまり、構成要素があと1つ足りないのだ。だから「関係性」を構成できないのだ。

 したがって、弱い力は「エネルギー」だとは認め得ないのだ。それは「関係性」ではないのだ。

 もしかしたら、(断言はできぬが)ウィークボソンは出自不明の「物質」なのかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにせよ、「エネルギー」ではないことだけは、理論上、確かである。

 また、「関係性」といえるためには、複数の当事者相互間を結ぶ(目に見えない)絆がそこになければならない。

 「当事者」の一方が欠落した構造のなかで、むき出しのゲージ粒子が(目に見えるかたちで)そこに現れる類型は、イメージ上は「エネルギー」というよりは「物質」に近い。目に見えてしまったら、それはもはや「エネルギー」ではない(ただし、可視光線は除く)。

 ゆえに、関係性物理学では、弱い力を「エネルギー」のカテゴリーから除外しなければならないのだ。

 したがって、自然界に存在する力は、講学上は3種類だけ(重力、電磁力、強い力)に分類されることになるのだ。しかも、それらは、(後で詳述するが)すべて同一の力である。

 そうした理由から、ここでは弱い力については論じない。もし関係性理論のなかで弱い力を扱ってしまったなら、それは論理矛盾となるということを、どうかご理解いただきたい。

 

 4.

 

 では、また本論へと戻ることにしよう。

 先述したように、関係性物理学においては媒質が不要であるから、物体相互間で力が作用するための時間も不要である。つまり、力の伝達速度は無限大であることになるのだ。

 加えて、ここでは、物体の位置や速さが変化していく様子を、物体が運動していると捉えるのではなく、物体相互間の「関係性」が変化していると捉えることになるのである。

 たしかに、力学すなわち近接説も自然界の真理を説明しうる優れた理論の一つではあるが、遠隔説に立つことで、より一層、重力と電磁力と強い力の統一、また光についての粒子と波動の二重性の統合的理解を可能にするのだ。

 これは、原子構造内の電子の振る舞いを決定論的に予測することに通じ、ひいては、半導体物理の発展や産業界の活性化を促すことにも通じるであろう。

 因みに、関係性物理学では、「力」、「エネルギー」、「仕事」といった呼び名の違いは、数式を扱ううえでの形式上の違いにすぎず、実体としては「関係性」という概念の中にそのどれもが含まれる、と見做される。

 なぜそれが可能なのかというと、「関係性」こそが自然界を構成するあらゆる成員相互間の繋がりをまとめて把握しうる最上位概念だからだ。

 したがって、関係性理論では、「力」も「エネルギー」も、いずれも「関係性」の一類型であるから、それぞれを異なった解釈で捉える必要はないのだ。ただし、厳密には、「力」とは「エネルギー」を「距離」で割った値である、と定義しうる*13。式で表すなら、次のような形になる。

 

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 5.

 

 では、この理論について、さらに整理していこう。

 私は、遠隔説に立って、新たに「関係性モデル」を築き上げ、それによってエネルギーが「関係性」であると定義づけた。その根拠は、(可視光線*14を除いて)あらゆるエネルギーが人間の眼に見えないことに鑑みて、「物質」ではなく「物と物との間の関係性」であると捉えるべきである点にある。

  また、光の性質に着目した場合、波動性*15と粒子性*16の2つの特徴があるが、それらを包括する上位概念がまさに「関係性」であるという点も、根拠となる。そうした概念は、光や熱や力を調べる実験結果に表れたあらゆる特徴をカバーしうる、最も基礎的で普遍的な説明方法だ。その広汎性ゆえに、波動性と粒子性の両方を矛盾なく統合することができるのである。

 そもそも、そうした二重性が物理学において認知されてきたのは、ダブルスリット実験*17光電効果の実験*18との間で、異なった特徴が見出されたことが端緒だった。

 ダブルスリット実験では、光の抜け穴が2つ開いた板に向けて光を照射すると、その先にあるスクリーン上に縞模様の影ができる。これは、光が波の特徴を持つことを思わせる。なぜなら、光の粒子が直進するだけであるなら、スクリーンには格子板の形状通りの四角い、グラデーションのない濃い影が出来る筈だからだ。

 一方、光電効果の実験では、金属にX線や紫外線などの高周波の光を当てると、そこから電子が飛び出してくる。これは、光が鉄砲玉のような粒であることを思わせる。なぜなら、小さな一点に集中的に相互作用が起きたがために、電子のような微小な粒子が跳ね飛ばされたと考えられるからだ。

 以上のような、光についての2つの異なる描像を、現代物理学における通説は、粒子と波動の二重性という概念で理解する。なぜならば、二重に実験して二重に結果が出たからだ。どちらも出た以上、それは二重性として処理せざるをえない、と見做されたのである。

 そのような解釈は、間違いというわけではない。しかし、自然の姿を十分に捉えきれているわけでもない。

 そこで、二重性を包括するような、さらなるエッセンスを抽出する必要がある。

 私の見解では、光はエネルギーであり、エネルギーは「関係性」である、としている。ゆえに、光とは「関係性」であることになる。そうであるなら、光を構成するための「関係当事者」がそこに存在していなければならないことになる。

 「関係当事者」とは、エネルギーを端から挟み込む複数の関係性構成要素を指す。それは、各実験ごとに違った構成になる。実験方法が異なれば「関係当事者」も違ってくる。そして、「関係当事者」が異なれば「関係性」も違ってくるのだ。

 では、そのことを踏まえたうえで、ダブルスリット実験について詳しくみてみよう。

 そこでの「関係当事者」は、大きく分けて、光源、スリット、スクリーンの3者である。言い換えれば、そこには「3当事者関係」が出来上がっていることになる(Figure.1をご覧いただきたい)。

 

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 それは、「2当事者関係」よりも薄い関係であるといえよう。そうした「関係性」が波動という形式で表われたのが、ダブルスリット実験なのだ。ダブルスリット実験が、「関係性」を波動レベルにしたのだ。3者間の薄い関係が、或る程度広がりのある波動性として現われ出たのだ。

 一方、光電効果の実験についても、詳しくみてみよう。 そこでの「関係当事者」は、大きく分けて光源と金属の2者である。言い換えれば、そこには「2当事者関係」が出来上がっていることになる(Figure.2)。

 

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 それは「3当事者関係」よりも濃い関係であるといえよう。そうした「関係性」が粒子を思わせる微小な形式で表われたのが、光電効果なのである。光電効果の実験が、「関係性」を粒子レベルにしたのだ。あたかも❝運命の赤い糸❞のように関係が濃いから、作用するエリアも電子1個ぶんの範囲に収まっているのである。2者間の濃い関係が、粒子性として現われ出たのだ。

 このように、異なる2種類の実験を行うことによって、「当事者」も異なってくるし、「関係性」も異なってくるし、実験結果も異なってくるのである。

 現代物理学が(粒子と波動の二重性という概念を通じて)指摘しているのは、その違いに相当する箇所についてなのである。

 喩えるなら、男が女と対峙すると「異性関係」が出来上がり、男が男と対峙すれば「同性関係」が出来上がる、というようなものだ。同じ一人の自分なのに、どちらの性別の人と対峙するかによって(狭義の)「関係性」が異なってくるのであり、それゆえ、自分の立場が「同性」になったり「異性」になったりするのである。これはまさに、「同性と異性の二重性」だといえよう。どちらの立場も正しいのだ。

 また或いは、自分が年上の人と対峙するときは自分が「後輩」であることになるし、自分が年下の人と対峙するときは自分が「先輩」であることになる。同じ一人の自分なのに、誰と対峙するかによって(狭義の)「関係性」が異なってくるのであり、それゆえ、立場が「先輩」になったり「後輩」になったりするのだ。これはまさに、「先輩と後輩の二重性」であるといえよう。どちらの立場も正しいのだ。自分は「先輩」でもあるし、「後輩」でもあるのだ。相手によって自分の立場が異なってくる以上、どちらか一つに限定することはできないのだ。

 つまり、二重性ということだ。

 粒子と波動の二重性のケースも同様である。各実験ごとに「当事者」が異なるのだから(狭義の)「関係性」も異なるのは当然の結果なのだ。2種類のメンバー構成で実験した以上、2種類の(狭義の)「関係性」すなわち二重性が表われ出てくるのは、当たり前なのである。

 したがって、粒子性と波動性との間にあるエッセンスを抽出するなら、それは(広義の)「関係性」であるといえよう。それはどちらの実験においても適用できる、幅広い概念だからだ。

 そうであるがゆえに、私は、自然界に存在するあらゆる力を「関係性」というモデルを用いて、普遍的に説明しうると考えたのである。

 それでは、それについての詳しい検証作業に入っていこう。

 

 6.

 

 私のイメージする時空像は、アニメーション帳のようなものだ。アニメーション帳は、たくさんの連続した原稿から成る「フィルム集」である。それらをパラパラとめくると、原稿に描かれた絵が、まるで動いているかのようにみえる。

 私はそこからの類推により、宇宙像をモデル化した。そこでの空間とは、アニメーション帳の1枚1枚をいい、時間とは、その連続的変化をいう(Figure.3)。

 

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 この時空モデルから判ってくるのは、空間にも時間にも「関係性」が不可欠の要件である、ということだ。空間とは、或る1枚を構成するすべての要素と、それら相互の間を繋ぐ「関係性」とで成り立っている概念であるし、時間とは、或る1枚と次の1枚の間を結ぶ「関係性」である、といえるのだ。

 ただし、空間的関係性と時間的関係性とでは、成立要件が異なる。前者の完成には時間がかからないのに対し、後者の完成には時間がかかる、という点で、違いがあるのだ。前者は、物体と物体を0秒で結び付けるものであるのに対し、後者は、現在の物体と未来の物体を0秒より長い時間をかけて結ぶものであるとの、相違点があるのだ。もし、現在の物体と未来の物体とが0秒で繋がってしまったなら、時間の流れは停止することになってしまうが、現実にはそのようなことはあり得ない。

 一方、空間を構成する物体相互間を結ぶ「関係性」は、常に0秒で成立する。アニメーション帳になぞらえて考えれば判りやすいだろう。すべての原稿同士が互いに0秒で繋がってしまうならそれはそもそもアニメーション帳ではなくなってしまうのだが、1枚1枚における構成要素同士は0秒で繋がっているのである。

 さらに、私のイメージする宇宙像は、「時計仕掛けの有機体」というモデルも融合されている。つまり、フィルム1枚1枚が有機的構造を備えている、ということだ。

 「有機的」とは、様々な要素同士が互いに関連し合い、影響を及ぼし合いながら、一つの(有限の)秩序の中で調和している状態をいう。時計の場合、様々な部品から構成され、各部品同士が調和することで自律性を生み出している。こうした特徴は、宇宙全体のみならず、地球環境や人体についてもいえることである。

 そのモデルにおいては、「時計」としての宇宙、「部品」としての個々の個性的な物体、そしてその「動力源」としてのエネルギーが定義される。もちろん、「時計」や「部品」といった用語は比喩であるが、私はそうした視点で遠隔説を裏付けたのだった。つまり、自然界に存在するあらゆる力を、あたかも時計内部の歯車同士の「絡み合い」のごとく、「物体相互間の関係性」であると定義づけたのである。

 ゆえに、そこから物体の持つ「個性」という概念が派生してくることになる。この宇宙における成員は、個性的でなければ互いに噛み合わないように設計されているのだ。まるで時計内部に長針と短針、大きいネジと小さいネジ、大きい歯車と小さい歯車があるかのように、この世を構成する個々の「部品」も、バラエティーに富んだ個性的顔ぶれになっているのである。

 そして、繰り返すが、そうした個性的物体相互間を結ぶ「関係性」が、力でありエネルギーである、と見做されるのだ。

 クーロンの法則*19になぞらえて考えるなら、「電荷」が「個性」に相当し、「クーロン力」が「関係性」に相当することになる。そこが、関係性物理学とクーロンの法則の類似点だ。

 しかし、クーロンの法則(電磁気学)では同符号の電荷を持った物体相互間で斥力が作用する、と捉えるのに対し、関係性物理学では、個性を持った物体相互間には斥力がそもそも存在しないと捉える点で、相違がある。

 たとえば、磁石の例で考えてみよう。磁石には、S極とN極とがあり、異極同士を近づけると引き寄せ合い、同極同士を近づけると反発し合う、という性質がある*20。そうした現象面だけからみるなら、たしかに同極間に斥力が働いているかのようにも思える。

 しかし、関係性物理学では、そのような解釈をしない。磁石の同極間の「関係性」を、「無関係」であると捉えるのだ。

 なぜ「無関係」なのかというと、磁石の同極間には「個性」の違いが無いからだ。

 この宇宙は「時計仕掛けの有機体」であるから、その内部のあらゆる成員は個性的でなければならない。つまり、この世の組成はバラエティー豊かでなければならないのだ。

 この宇宙において力やエネルギーが生じうるのは、そうしたバラエティーの豊かさがあるお蔭なのである。

 そうであるなら、磁石の同極同士で構成される「関係性」は、まったくバラエティーに富んでおらず、いわば「究極の無関係ワールド」になっているのだ。それゆえ、引力は一切発生しないのだ。

 斥力についても、一見すると発生しているかのようにもみえる。しかし、そこに現れている力は斥力ではない。それは、「人間が手で磁石同士を近づける動作」がもつ力、すなわち「人間由来の運動エネルギー」なのである。磁石に本来的に備わる力ではないのだ。電磁気学でいうところの斥力は、関係性物理学に当て嵌めるなら、同極間に発生した「無関係空間」に対して人間が手で力を注入した結果、それによって磁石が遠くへ押し遣られた現象である、と見做しうるのだ。

 それが斥力っぽくみえただけのことなのだ。

 力が発生するためには、そこに「個性」の違いがなければならず、もしまったく同一の「個性」を持つ物体同士を対峙させたなら、そこには「関係性」(すなわち斥力を含むあらゆる力)が一切、生じないことになるのだ。

 したがって、自然界には斥力は存在しない、との結論になるのである。

 

 7.

 

 では、関係性理論について、さらに詳しくみていこう。

 あらゆる力、エネルギーは、「関係性」である。「関係性」といえるためには、それを挟む複数の「関係当事者」が存在し、各当事者が個性的であり、かつ各当事者を互いに関係づける速さが無限大である必要がある。

 そうした要件内容を数式化するため、私は、光を使った思考実験を試みた。

 光はエネルギーの一形態であるから、光も「関係性」であるということになる。

 したがって、その進行速度は、理論上、無限大であると見做せる。

 Figure.4をご覧いただきたい。

 

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  電車内の天井に設置された光源から光が出た場合、それは一瞬(0秒)で床まで到達し、縦方向のラインは、どんなに車両が高速で横方向へ動いても直線を形成するだろう。これを私の造語で「光柱形成」と呼ぶ。

 では、Fig.4の電車が、もし299792.458[Km/s]*21で走行したなら、光柱はどのような形に見えるだろうか?

 それについては、2通りの見え方を想定しうる(Figure.5)。

 

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 それらのうち、どちらがより適切であるかを考えたなら、おそらく、Bのほうであると思われる。これを私の造語で、「光帯形成」と呼ぶ。

 光帯は、光柱(2r)がN本ぶん集まって出来たものであると考えることができるから、「2Nr」と表わせる。また、それは、光速で一定時間に亘って走行した結果であるから、式で表わすと次のようなかたちになる。

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 これを変形すると、次のような式が得られる。

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 ここでいう「N」は、光柱の本数を表わしているのであって、光柱を構成する当事者数を表わしたものではない。それを記述するには、別の式を考え出さねばならない。この点、光柱は、天井における「一方当事者」と、床における「他方当事者」の、2者構造から成っていることが判る。したがって、両者の関係を記述する式は、次のようなかたちで与えられる。

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 これを式➁へ代入すると、次のような式が得られる。

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 これで、まずは「関係当事者」についての記述が完成したことになる。 

 因みに、式③、式➃により、水中を通過する光が真空中における場合よりも速度を落とす理由*22が説明できる。それは、水が当事者として加わったことで、nの数が増えたからなのである(先述した宇宙服姿の男女対面実験において、男のフェロモンが女の体に無限大の速さで伝わるとは敢えて述べなかった理由も、同じである)。光の速さは、本来、無限大であるが、人間が測定することで、ハーフミラーや歯車*23などの当事者を介入させ、nの値を増大させたため、299792.458[Km/s]にまでスピードダウンしたのだといえる。

 光速という概念は、人工的に速さが有限化された結果、出来上がったものなのである。それは一見すると、光子が素早く運動しているさまを表わしているかのようにもみえるが、そうではなく、無限大の速さで光源とその受容先とが結ばれているため、両者間をもともと繋いでいる1本の「関係性」として表われているのだ。エネルギーの粒(光子)が端から端まで移動するのではなく、もともと両端(両当事者間)をエネルギー(関係性)が0秒で取り結んでいる、と捉えるべきなのだ。

 もしも光子が有限の速さで時間をかけて空間を移動するという前提に立ってしまうと、列車実験はまったく違う描像でイメージされることになる(Figure.6)。

 

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  Figure.4とFigure.6を見比べれば、近接説と遠隔説の違いがはっきりと判るであろう。

 さて、遠隔説に立つなら、恒星と惑星の間に働く重力も、陽子と電子の間に働く電磁力も、両当事者間を結び付ける「関係性」であるという点で共通していることが判る*24。そして、各当事者についてみてみると、一方が静止し他方がその周囲を回っていることが判る*25。さらに、その両者の間には、速度の違い、サイズの違いもある。つまり、そこには属性の違いすなわち「個性」の大小が、見て取れるのだ。逆にいえば、「関係性」で充満している空間には、必ずその両端に「個性」の異なる物体が存在し、それらが互いに影響を及ぼし合うことで、力を生んでいるのだといえる。

 そう考えれば、「力」とは「個性間引力」であると見做せるのだ。

 その度合いは、両個性の間の距離が小さければ小さいほど、大きくなることが判る。なぜなら、距離が近ければそのぶん「関係性」が濃くなるからだ。

 したがって、個性間距離を「2r」、両個性を掛け合わせたものを「i²」、力を「F」とすると、次のような式が成り立つ。

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  ここで、個性とは何か、について明らかにする必要がある。一つ言えるのは、母集団における構成員数が増えれば増えるほど個性は小さくなり、逆にそこでの数が減れば減るほど個性は大きくなる、ということだ(互いに反比例する関係)。また、惑星モデルにせよ原子モデルにせよ、どちらも片方が動いて他方が止まっているモデルであることから、速さというファクターが個性の大小に影響していることは、確かだ。

 したがって、直感的に、次のような関係式を導ける。

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 (単位[H]は、この式の考案者である私の姓名[Hashimoto]から命名)

 また、式➁を式⑤へ代入すると、次のようなかたちが得られる。

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  したがって、式➆を用いて式⑤を変形すれば、次のようなかたちで、電磁力の式および強い力の式が完成することになる。

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  電磁力と強い力との間の違いは、物体間の距離だけで決まるのだ。ゆえに、電磁力と強い力は同一の力であるといえるのである。

 

 8.

 

 では、次に、重力についての論述へと移ることにする。

 この点、ニュートンの重力理論によれば、重力は質量を持った物体相互間に働く力であり、その大きさは質量に比例する*26、とされている。それは次のような式で表わされる。

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  式の中にある「G」は万有引力定数と呼ばれるものであり、その数値の正確さは、キャベンディッシュによるねじれ秤を用いた実験によって裏付けられた、*27といわれている。

 しかし、ここで疑問点が生じてくる。その実験で使われた2個の鉛球は、重さや大きさが極端に異なっていた(大球が重さ160[Kg]、小球が重さ0.73[Kg]だった*28)。ニュートン理論によると、重力は質量に比例する筈だから、もし2個の鉛球間に強い引力を作用させたいなら、両方同じくらいの巨大サイズのものを使ったほうが効率が良いことになろう。

 しかし、キャベンディッシュはそうしなかった。なぜなら、両方の質量を同じに揃えてしまうと、(関係性理論でいう)力の発生要件を満たさないからだ。

 力が生じるためには、それを構成する各当事者が個性的でなければならない。つまり、物体の大きさ、質量などについて、各当事者間でギャップを設ける必要がある、ということだ。

 それゆえ、キャベンディッシュは、実験で極端に質量の違う2個の鉛球を用いたのである。そうでなければ、まるで磁石の同極同士を近づけたときのように、両者間の空間が「無関係ワールド」となってしまい、引力が発生しないからだ。

 また、万有引力定数についても、一説によれば式➈における左辺と右辺とを釣り合わせるためにニュートンが無理矢理に導入した便法にすぎない、ともいわれており*29、自然界の法則を忠実に表現できているかどうかは疑わしい。

 そうであるなら、ニュートン重力理論に代わるまったく新しい式を考案し、それによって重力をモデリングし直す必要があるだろう。そこで、私は、独自の重力理論を、思考実験によって導き出すことを試みた。Figure.7をご覧いただきたい。

 

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 まず、全宇宙の質量を「m」と考える。それを、神様が、金鎚で打撃力(F)を加え、薄く引き伸ばし、無数の当事者(n)から成る1枚の平面に変える、という内容だ(それを、私の造語で、「マスシート形成」と呼ぶ)。

 ここで、全宇宙の半径を「r」とするなら、宇宙そのものの面積は「(2r)²」と表わされることになる。その点を踏まえて式を導くと、次のようなかたちで与えられる。

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 これを変形すると、次のような式が完成する。

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 これが、重力と質量の関係について記述した新理論である(この式によれば、重力は質量に反比例することになる)。

 そして、関係性物理学では、重力と電磁力と核力はいずれも「関係性」である点で共通している。したがって、そのことを式で表わすと、次のようなかたちが出来上がる。

 

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 これが、あらゆる力を統一的に扱える万物理論の式である。

 因みに、これは力という形式で表わした式であるから、それをエネルギーという形式で記述するためには、次のように表わせばよいことになる。

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 式⑫と式⑬の違いは、変形したか否かだけの違いだ。

 では、質量について扱うための式を導き出してみよう。これも、式⑫を変形するだけでよい。すると、次のようなかたちが与えられる。

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 また、これは、式➃を代入すると次のように変形できる。

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 では、式⑫における右辺と左辺とが等しいこと(電磁力と重力が同一の力であること)を、計算によって確かめてみよう。

 一例として、まず、水素原子内の陽子・電子間の重力を、式⑪を用いて求めたい。

 そのためには、水素原子の半径の値そして水素原子の当事者数を明らかにする必要がある。前者については式⑮を、後者については式➃を、それぞれ使用すればよい。

 では、水素原子の半径を導こう。ここで注意点がある。水素原子の速度についてどのように決めるのかということだ。それについては、次のように考える。

 地球上の水素原子は、地球と共に太陽の周りを29.8[Km/s]*30で公転している。

 そう考えれば、次のような計算結果が導かれることになる。

 

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 これが、水素原子の半径だ。

 そして、水素原子の当事者数は、次のような計算で与えられる。

 

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 では、以上の数値を式⑪へ代入して、水素原子内の陽子・電子間の重力を求めよう。それは次のような計算結果として与えられる。

 

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 では、次に、式➇を用いて水素原子内の陽子・電子間の電磁力を求めよう。

 それは次のような計算結果として与えられる。

 

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 以上のように、両者の値は完全に一致したのだった。

 したがって、重力と電磁力が数値の上で同じ力であることが示されたことになる。

 それが可能なのは、重力が質量に反比例するとの立場に立つからこそだ。

 一方、ニュートンの重力理論は、重力が質量に比例する、と考えてしまったため、人間が手に持った小さな磁石と地球との間の、クリップを引きつける力の差を説明できなかった。もし重力が質量に比例するのであれば、質量で遥かに上回る地球が小さな磁石に比べて引力であっさり下回ってしまう筈はないのだが、実際それは磁石の引力には遠く及ばない。ニュートン理論は、そうした致命的な論理矛盾を犯していたのだった。

 磁石が地球より強い引力でクリップを引きつけることは、重力がむしろ質量に反比例することを示す実験結果だといえるのである。

 

 9.

 

 では、そのことを式⑪を用いて検証しよう。

 手始めに、式⑮を用いて地球の質量を求めたい。

 地球の公転速度は29.8[Km/s]、地球の半径は6378140[m]*31であるから、次のような計算結果が導かれる。

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  一方、クリップのそれについては、無視できるほどの小さい値なので、考慮しないことにする。

 そして、次に、式⑪を用いて、クリップを地球表面から0.01[m]離したときの引力を求めよう。地球の当事者数は、式➃に基づいてn=10060.1496との値が与えられる。クリップのそれについては、地球と一体化していると考えられるから、考慮しないことにする。そうした点を踏まえたうえで計算すると、次のような結果が導かれる。

 

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 これが、地球がクリップを引きつける力の度合いだ。

 では、次に、磁石の質量を求めよう。磁石は、種類や大きさにの違いによって 質量も変わってくる*32。ここでは、サマリウム=コバルト磁石*33(8×10⁻⁶[m³]大)を想定したい。また、その当事者数については、地球上の磁石は地球と共に太陽の周りを29.8[Km/s]で公転していると考えられるので、式➃に基づいてn=10060.1496との値が与えられる。

 そうした点を踏まえたうえで、質量を計算すると、次のような結果が得られる。

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  では、最後に、式⑪を用いて、クリップを磁石から0.01[m]離したときの引力を求めよう。それは次のような計算結果として与えられる。

 

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  これが、磁石がクリップを引きつける力の値である。

 以上のように、地球とサマリウム=コバルト磁石とでは、クリップを引きつける力において約2.6×10²⁶倍の差があることが判明したのだった。

 また、関係性物理学を使えば、飛行機が空中を飛行できる理由についても、説明できる。すなわち、式➃と式⑪に基づいて、高速で運動している質量の大きい物体は、地球との間の関係性が薄くなり、その結果、引力が弱まって、だからこそ、空を飛べるのである。

 

 10.

 

 では、本論文のまとめに入ろう。

 この宇宙は、いわば❝時計仕掛けの有機体❞である。私が物理研究において「関係性」や「当事者数」といった要素を重視する背景には、そうした自然観(一元論的有機体論)が基礎にある。

 私が関係性物理学を生み出した理由は、ひとつには近接説による「4つの力の統一」が行き詰まっていたこともそうだが、いちばん大きな契機となっていたのは、まさにそうした宇宙観があったという点なのである。

 

 

 

                                            以上

  

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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 Unified Description of All Force, viXra.org e-Print archive, viXra:1603.0423

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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