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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

「感じる時代」

 なんとなくですけれど、いまはちょうど、時代が大きな転換点を迎えているような気がしてきています。

 

 それは、主として、価値観のシフトチェンジというかたちで現われているように見受けられます。

 

 

 

 二元論から一元論へ。

 

 アナログからデジタルへ。

 

 コンテンツからフォーマットへ。

 

 マス・メディアからSNSへ。

 

 物販から情報サービスへ。

 

 物体からエネルギーへ。

 

 「目に見えるもの」から「目に見えないもの」へ。

 

 

 

 

 そして・・・

 

 

 

 

 

 「見る時代」から「感じる時代」へ。

 

 

 

 

 

 

 つまり、真実は眼で見て判断するよりも、自分の「内なる声」に素直に耳を傾けて、直感的・フィーリング的に判断したほうが、よりクリアになる、ということだと思います。

 

 

 

 なんとなく、そんな気がします。

 

 

 

 

 そっちのほうが情報処理のスピードは、速いです。

 

 

 

 「目に見えているもの」は判断するうえで時間がかかるのに対し、映像やテキストなどとはまた別の、「目に見えていないもの」を、直感に従って判断するという場合は、あまり時間がかからず、しかも的確であるというメリットもあります。

 

 

 いちいち映像に触れて、目で見比べて、吟味して・・・みたいな感じで物事を決めていたのでは、遅いような気がするのです。

 

 もちろん、そういうプロセスが必要なときもあります。

 しかし、多くの場合、そのようにじっくりと見比べて検討しているうちに、状況がどんどん変化していってしまうものなのです。

 

 それゆえ、むしろ「目に見えていない」部分にこそ本質が宿ると捉えて、直感的に判断するのが、のぞましいといえるのです。

 

 

 「情報の受け手」としての自分は、そのようなスタンスが求められてきているのです。

 

 

 これは、逆の立場すなわち「情報の送り手」としての立場の人間であるなら、意識すべきは、「見せるパフォーマンス」から「感じさせるパフォーマンス」へとパラダイムをシフトするのが好ましい、ということだと思います。

 

 

 「見せること」に意識を働かせすぎていると、どうしても絵的なというか、映像作成の形式的な部分にばかり注意が回りがちとなり、「感じてもらうこと」が疎かになってしまう恐れがあるのです。

 

 

 

 一言で簡潔に説明するのは難しいですけれど、要は、「こころの時代」なんだと思います。

 

 

 

 

 

 「物」とか「見た目」に関する豊かさよりも、「こころ」の豊かさにこそ、徐々にフォーカスが当てられるような、そんな時代になってきているんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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