橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

「非リア充」という名の誤解

 お金や豊かさというものと、ブランド・知名度というものとを結び付けて考えていると、場合によっては、ふつうの状態、無名の状態を続けている自分を、「本当の自分じゃあない」というような不全感でしか捉えられなくなるおそれもあります。

 

 だから、ときに、TVやビジネスの現場やその他の分野で活躍している有名な人に対して劣等感を持ってしまう人も出てくる可能性があります。

 

 「非リア充」が「リア充」に嫉妬する構図が、一見、出来てしまっているようにもみえます。

 

 しかし、それはじつは勘違いであるといえます。

 

 人は、すでに、そのままの自分で充分に「リア充」なのだと思われます。

 

 

 お金も、物品も、肩書き・知名度も、何一つ無い状態でも、人は、或る条件を満たせばただそれだけで、「リア充」なのですね。

 

 「豊か」なのです。

 

 たしかに、お金や知名度といったブランドが「豊かさ」の象徴だった時代がありました。

 

 それらは、TVや映画、出版などのメディアと結びつくことで、大きく花開いた。

 

 だからこそ、芸能人や有名人は憧れの対象となりえた。

 

 ちょっと前までは、そういう時代だった。

 

 

 しかし、(それはそれで価値を残しながらも)いまは時代がすっかり様変わりしました。

 

 

 「ブランド力」UPへと向けられた努力では、(必ずしも)魅力が花開くとは限らなくなってしまったのです。

 

 

 そうじゃなく、努力は、「こころ」を豊かにする方向へと注がれるべきなのです。

 

 

 「こころ」が豊かになれば、物質的、経済的な豊かさは、思いもよらぬプロセスを辿ってオートマチックに満たされてしまうものなのです。

 

 

 本当の豊かさや幸せとは、そういったところにこそ芽生えるものなのでありましょう。