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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

『アマポーラ』

 時間芸術である音楽は、一定の限界(枠)を持っています。


 それは、その枠を超えないように作られる必要があります。

 一曲の演奏時間、歌唱時間が、その枠内に収まるように作られなければなりません。


 そこには、必ず、始まりと終わりがあるのです。


 終わりのない歌は、歌とはいえないのですね、当たり前ですけれどね。


 このように、音楽は、一定の枠に縛られているという点ではすべての曲において変わりがないのに、その枠の中では変化(メロディー・ライン)を設けなければならない・・・そういった芸術形式であるといえましょう。

 喩えるなら、トランプみたいなものです。
 トランプ1式の中では、特徴ある数と記号を備えたカードが52枚(およびジョーカーの枚数)、設けられており、それらはすべて他とは識別できるようになっています。

 それは無限の広がりを持ったものではなく、全体としてみれば、やはり、始まりがあって終わりがあるものなのです。


 つまり、「枠」を持っているのですね。


 トランプは、その限られた「枠」内に備わる貴重なカード1枚1枚によって構成されており、そうした切り札を、ここぞというタイミングで切ることに、遊びとしての醍醐味があるといえましょう。



 そういう意味では、曲作りにおいても、そのような醍醐味が見て取れます。



 音楽にも、「切り札を切る楽しみ」があるのであります。



 たとえば、『アマポーラ』では、曲の冒頭部分と、最後のほうのサビの部分(クライマックスの箇所)で、「アマポーラ」というフレーズを使用しています。とくに後者の部分に関しては、2回、連呼しています。


 まさに、“とっておきの切り札”を、ここぞとばかりに投入している感じです。


 これでもか、これでもか、っていうふうに。




 それが感動的だし、なんか、カッコいいんですよね。

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