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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

わがままアーティストⅠ

 感性をインスパイアさせるために、あらゆることをする。
 散歩に出掛け、道中、綺麗な景色を見つけたら写真に収め、おしゃれなお店があれば入る。
 本を読み、映画を観、音楽を聴く。
 そしてアイデアを思い着いたらメモを取り、暇をみては運動もする。

 朝から晩までアトリエに閉じ籠もり、絵を描き、小説を書き、論文を書いて、彫刻も彫る。


 ただそれだけの毎日。


 なんて素晴らしい日々でありましょうか。


 そして、会いたい人には会い、会いたくない人には会わない。



 まさに、理想的なわがままライフです。



 それを実現するに至るまでには、いくつものハードルが待ち構えているでしょう。

 でも、いいのです。

 それを築き上げる過程が楽しいのです。



 私が生きているうちに自分の作品が受け入れられる・受け入れられない、或るいは、売れる・売れないは、(究極的には)関係ありません。

 もちろん、受け入れていただけるなら、それはとても嬉しいことです。

 ただ、最近、或ることで万策尽き果てた状況になり、もしかしたら自分が世間的に評価されて有名人にでもならない限り、事が進まないのではないかと、気に掛かってきている部分もなきにしもあらずなので、それに向けてひたすら頑張るしかない、とも思い始めています。

 その或ることとは何かといいますと、或る方へのメッセージ送付です。
 また、その内容とは何かというと、その時じゃないと意味がない、といった類いのものです。たとえば、クリスマスの日に「メリー・クリスマス!」というような感じのメッセージですね。真夏にそれを言っても意味ありませんよね。つまりはそういう類いのメッセージということです。

 私はどうしてもそれを伝えたいのです。


 この点、その方は、SNSやブログを開設なさっているので、コメント欄を通じてメッセージを書き込むこと自体は、可能です(実際、たくさんの読者やフォロワーといった方々が、そうしています)。


 しかし、私はそれをしたくありません。
 なぜなら、わがままアーティストだからです。

 なんか、大勢の人の中の一人みたいな感じで埋もれてしまうのが、イヤなのです。
 直接面と向かって言いたいことも言えず、大勢の中に埋もれるくらいなら、沈黙したほうがましである、と思ってしまうんですね。

 自分でも、ほとほと手を焼いております(笑)。


 自ら墓穴を掘るようなことをしてしまっていますからね(笑)。




 でも、イヤなものはイヤなんだぴょーーーーーん!









 ぴょん、ぴょん・・・













 ぴょーーーーーーーーん!









































































































 P.S.


 私は先程、「万策尽き果てた」と申しました。でもそれは、あくまでも、従来の枠組みに縛られている限りでは、という意味においてです。
 したがって、その従来の枠組みを取り外したなら、まだ「万策尽き果てた」わけでは必ずしもない、ということになります。
 つまり、いろいろな方策が考えうるのであって、そこから新たな展開が生まれてくることも十分にあるのですね。
 ただし、そうはいっても、「従来の枠組み」を取り払うのは、じつは容易ではありません。
 当ブログ『橋本順一の哲学』は、「公共性に資するような記事のエントリー」という方向性で運営されています。それゆえ、公共性とあまり関係ない私的なメッセージの発信は(一応)避けるべきである、とのスタンスに立脚しているのですね(どうかお許しください)。

 従来の枠を破ることは、そうした運営方針に抵触するおそれもあるのです。
 わがままアーティストたる私は、やはりそういうことは、気が進みません(現時点ではね)。



 繰り返しますけれど、












 イヤなものはイヤなんだぴょーーーーーん!






 ぴょん、ぴょん・・・



















 ぴょーーーーーーーん!