橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

いつまでも魅了し続ける

 「抽象的なもの」って、「開かれたもの」なのであり、ガチガチの閉じられたものではないから(つまり“遊び”の部分がたくさんあるから)、付け足されちゃうんですよね、いろんな要素がね。

 たとえば、純愛とか、情熱とか、美少女といったもののイメージって、人それぞれあると思うんですけれどね。

 それらは一応、その人が過去の半生において実際に出会った経験があって、それに基づいて形成されている、或る程度しっかりしたイメージなのでありますよ。

 でも、たとえばなんですけれど、仮に、昔(学生時代とか)に好きだった異性がいたとして、その人の具体的な表情や声、仕草、会話内容といった要素は、どこかへ飛んじゃっていて、現在では、抽象化され、美化されたイメージだけが、自分の心の中に残っているわけです。いわば「骨組み」だけがある、みたいな感じですね。


 んで、そういったものは弱点もあって、「開かれたもの」であるがゆえに、他の情報(イメージ)が勝手に付け足されちゃうんですよ。そこが、まあ、弱点っていえば弱点なのであります(見ようによっては長所とも受け取れるけれど)。



 さて、そうであるならね。そのような美しいイメージって、他の美しい、甘く、切ないイメージがどんどんそこに吸収されていって、膨れ上がっていくような、そんな性質のものである、と考えることができるでしょう。



 そこに、「過去」というものが美化されやすい土壌があるといえましょう。



 それは、何年経っても、自分がどう変わろうと、常に美しい姿を保ったまま、いつまでも私たちを魅了し続けるのです。



 たとえば、A子さんのイメージに、B子さん、C子さん、その他さん・・・・・・といった、複数のイメージが同化されるからこそ、それは強いし、美しいし、消えることのない幻のようなものであり続けるのですね。




 一方、「具体的なもの」ってのは、ガチガチに閉じられているから、A子さんのイメージとB子さんのイメージが同化されることはありません。無条件にはね。





 A子さんはA子さんなのです。あくまでもね。






 結局、「過去」も「現在」も、どちらも美しく、素晴らしい、ってことですね!