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橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

秋の夜長にふと思う

 俺の名は、ルパン三世。かの名高き怪盗ルパンの孫だ。世界じゅうの警察が俺に血眼!とっころがコレが捕まらないんだなぁ~。ま、自分でいうのはなんだけど、狙った獲物は必ず奪う神出鬼没の大泥棒、それがこの俺・・・







































 ルパン三世だ。






 バキュン!、バキュン!・・・

















 バキューーーーーン!









 

 私、このシーンというか、台詞、好きなんですよねぇ。

 あ、これ、CDのことです。映画じゃなくて。なんか、『ルパン三世JAZZシリーズ』みたいなリミックス・アルバムのうちの1枚のなかで、アニメーションの音声が曲中にサンプリングされているんですよ。台詞とか、銃声とかがね。


 「ルパンは諦めないわ。」(峰不二子


・・・みたいなのが、随所に(たとえばオーケストラの演奏中とかに)散りばめられていて、しかもそれが、けっこう調和できているというか、馴染んでいるのですね、音楽にね。

 
 それが面白いし、カッコいいと思うんだけれど、この前、夜に散歩しているときに、その台詞をつぶやいていたら、ちょうどそのタイミングで脇道からお巡りさんが現れたんですよ、パトロール中のね。

 
 ちょっぴり気まずかった(笑)。


 「神出鬼没の大泥棒」とか言っている時に、来るんですもん(笑)。


 しかも夜道だし(笑)。






 さて、ところでね。話はガラッ、と変わりますけれど、最近、すっかり秋っぽくなってきましたね。学生の皆さんは、新学期が始まった頃じゃないでしょうか。それはそれでいいんだけれど、この時期になると、相変わらず、いじめ事件の報道が耳に入ってきたりします。

 当ブログでも、去年このテーマで記事を書いたのを覚えています。

 毎年9月1日は、中高生たちの自殺率が最も高い、とのデータがあるらしいのだけれど、悲しむべきことに、今年9月に入って、またそのようなニュース報道に触れてしまいました。

 そこで、二度とそうした悲劇が起きないようにするために、大人が出来ることはないだろうか・・・・・・と、私なりに、ちょっと考えてみました。 

 親や教師が相談に乗る、或いは、いじめが起きないように監視するということも、ひとつには有効だとは思います。しかし、それだけでは決定打にならないこともまた、残念ながら周知の事実です。
 つまり、システム的な面での解決方法に頼っていたのでは、限界がある、ということになりましょう。
 そこで、こうなったらもう、「いじめとは何か」という本質論にまで遡って、哲学的な面から解決方法を探るしかないのではないか、と思うに至りました。


 その結果、「自尊心」というタームに辿り着いたのでした。


 人には皆、自尊心というものがあります。それは、かいつまんでいうなら、「我が身を愛おしいと思う心」であるということになりましょう。

 したがって、当然のことながら、いじめる側にもいじめられる側にも、どちらにも自尊心が備わっている、ということになります。

 じゃあ、なぜ、人は人をいじめるのか、と考えてみますとね。

 それもたぶん、自尊心を保つためなんだと思います。

 本来、自尊心というものは、自助努力によって高めるべきものであり、そうしたプロセスに身を置くことで喜びを感じられるようになっている筈なんですけれど、一方で、人間というのは、「低きに流れる」「易きに流れる」生き物なのだとも、いえます。
 つまり、手っ取り早く自尊心を満たそうとして、他者を蹴落とす、傷つける、そうした方向に流れてしまいやすい存在なんですよね、人間ってのはね。

 それで、ついつい、他人をいじめてしまうのだと思われます。

 でも、それは本来、卑怯なことだし、暴行罪、強迫罪、強要罪、恐喝罪、傷害罪、名誉毀損罪・・・といった犯罪の構成要件に該当するような、きわめて悪質な行為なんですよね。


 クールなことでもなんでもなく、カッコ悪いことなのです。


 でも、それを声高に叫んでみたところで、いじめがなくならないこともまた、残念ながら、事実です。


 そこで、視点をちょっと変えてみます。すなわちね。



 いじめる側がいちばん恐れていることは何なのか?



 という点を探るのが最も有効なんじゃなかろうか、と思われるのです。

 いじめる人ってのは、手っ取り早く自尊心を満たしたいがゆえに他人を引きずり下ろそうとする、と先ほど述べました。自分が努力して上へ這い上がるよりも、他者を蹴落とせばその必要はなくなり、そのほうがラクに自己満足に浸ることができます。だから、いじめるわけですね。


 そうであるなら、いじめっ子が何をいちばん恐れているかと考えますとね。



 格の違いを見せつけられること。



 これなんですよね。
 たとえば、いじめる人は、相手に悪口を言ったり、嫌がらせをしたりします。その目的は、相手を低い立場に追いやり、相対的に自分の価値を高める点にあります。
 インターネット上で有名人や芸能人の誹謗中傷をする人も、おそらくは同様の理由からでありましょう。

 ということは、つまり、いじめる人はいじめられる側の人を、少なからず警戒している、ということになりましょう。
 すなわち、このままでは自分が色褪せてしまう、自尊心が傷ついてしまう、と思っている、と見做すことができるのです。

 要するに、相手に一目置いている、もっといえば、相手をちょっと格上の存在だと思っている、ということです。

 そうであるなら、悪口を言われる側の人は、悪口を言われて悪口を相手に言い返してしまうなら、相手を喜ばせてしまうだけであることが、みえてきます。
 「な~んだ、偉そうなこと言ってても、コイツも俺たちと同類じゃん。格上でもなんでもないじゃん。」
 っていうふうに、彼らを安心させてしまうわけですね。

 「バ~カ!」と言われて、「バカはお前だ!」とか言い返したりすると、相手は元気になっちゃうんですよ、嬉しくて。
 なぜなら、格上だと思っていた人間が自分と大差ないことが判ったから。

 だからますます絡んでくることになります。



 そう考えてきますとね。嫌がらせやいじめを受けたときにベストだと思しき解決方法は何かといいますとね。



 それは、華麗にスルーすることである、といえましょう。



 相手にしないのが一番なのですね。それが「格上」の振る舞いだからです。

 「格上」の人は、悪口を言われたり嫌がらせを受けたりしても、無視するか、ユーモアたっぷりに切り返すか、まるで西郷隆盛みたいに平然としているか、感謝しちゃうか、褒めちゃうかするだけなのですよ。

 「お陰さまで、いい勉強になりました。ありがとうございます。」ってね。

 そうすると、いじめる側はショックを受けちゃうものと考えられます。
 「やっぱりコイツは、俺なんかと格が違う。向こうのほうが、一枚も二枚も上なんだな・・・。」
 ってなって、それ以上いじめようという気にならなくなっちゃうんですよね。
 っていうか、単純に、つまらないと感じると思います。何を言っても、何をしても、いつもそうした反応しか返ってこないんじゃあ、張り合いがないでしょうからね。


 向こうが100回悪口言ってきたなら、こっちは、200回くらい「ありがとうございます。」って言っちゃえばいいんですよ。
 向こうが1000回悪口言ってきたなら、こっちは、2000回くらい「素敵なボキャブラリーをお持ちですね。」って言ってやればいいんですよ。


 まあ、そこまでいかないうちに、いじめはなくなると思いますけれどね。



 それでも、そうしたトライアルが功を奏さず、いじめが治まらないのであれば、(去年のブログでも述べましたけれど)その学校や職場を辞めて、まるで根無し草のように、自由に、逞しく生きていくというのも、一つの手です。

 それをやっちゃいけないなんてことは、全然ありません。

 自殺するくらいなら、ゲリラ的に、がむしゃらに生きていくほうが、よっぽどましでありましょう。
 学校を中退しても、いまの時代、昔と比べてそれほど学歴は重要視されなくなってきましたしね。 
 自分の頑張り次第で、いくらでも道は開けると思います。
  
 これは、私の個人的な意見です。







 そんなようなことを、まあ、秋の夜長に考えてみたわけであります、ハイ。