表現活動(芸術・芸能)は、いわば「玉手箱」の作成・公表です。
それは、私たちの暮らすこの世界を、自分なりの価値基準で区切って、オリジナルの「枠」を設け、示すことなのですね、その中に独特のコンテンツを詰め込んでね。
だからこそ、アイドルさんは舞台に立ち、歌い、踊り、そしてMCをするのだし、女優さんは撮影にのぞみ、演技をするのだと思います。
それを何らかの媒体に記録することこそが、「玉手箱」の作成であり、作品づくりというものなのですね。
したがって、逆にいうなら、そうした「玉手箱」の作成なしには、芸術・芸能は成り立たないことになりましょう。
ものづくりに携わる人間は、そのことさえ理解できていれば、あとは難しく考える必要はないと思います。
とにかく「箱」を作っちゃえばいいのです。
自分の中の有益な情報をパッケージにして詰め合わせ、提供しさえすれば、もうこちらの仕事は完結です。あとは受け取る側の問題なのですね。
ただし、「箱」に関しては、従来通りの「判りやすい」枠である必要がありましょう。その中身は新規的・独創的であってもよいのだけれど、「箱」そのものは普通のというか、慣れ親しんだものであるほうが、のぞましいでしょう。
たとえば、CDを作る、映画を撮る、物語を書く、そして絵を描く・・・といったような、「判りやすい」提示方法をとることが大切なのですね。
それ以外の提示方法は、(やるのは自由だけれど)たくさんの人々に受け入れてもらうためには、あまり有効ではないような気がします。
そっちは、表現者の仕事ではありません。開発者、技術者、もしくは裏方を支える人たちの仕事です。
ちなみに、私は表現者です。
そして、その「仕事」とは、「世界を切り取ること」なのです、自分独自の価値判断をそこに盛り込みながらね。
そのレベルが高ければ高いほど、その人は「天才芸術家」であるといえるのではないでしょうか。