橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

1ピース

 パズルの最後の1ピースって、なにげに重要だと思います。

 

 仮に、100ピースを組み合わせれば完成する作品のケースで考えると、99ピースまで嵌め込んであったとしても、最後の1ピースが抜けているなら、それは完成品とは呼べません。いくら99まで揃えてあるといっても、あと1ピース足りないなら、それはゼロと同じなのですね。

 100円の商品を想定した場合でも、それは同様です。たとえば、100円のパンを買いに店まで行き、99円しか持っていなかったら、そのパンは買えませんよね。つまり、1円に泣かされるわけですよ、1円を疎かにしてしまえばね。

 その意味では、1円の貴さと1億円の貴さには変わりは無い、といえましょう。

 それはあたかも、1人の命と1億人の命とで、貴さにおいてどちらも変わりが無い、ということと同様です。

 この世に無駄なものは何一つ無い、との考え方からすれば、すべてに価値があり、すべてが尊いわけだから、それも頷けるでありましょう。

 

 だから、パズルの最後の1ピースについても、全力で取り組むことが大切なのであります。

 

 もしそれが手付かずのままであるなら、その評価は残念ながら、「ゼロ」です。

 オール・オア・ナッシングだからです。

 

 

 「完成品」と「未完成品」との間には、大きな開きがあるのであります。

 

 

 芸術や科学の世界では、とくにその傾向が顕著です。それらのジャンルにおいては、“金メダル”にのみ、価値があります。銀メダルや銅メダルは、スポーツの世界でなら素晴らしい成績であるけれど、科学や芸術の世界ではそれはビリも同然なのですね。

 二番煎じじゃ、何の意味もありません。世界初、人類初の業績をあげるからこそ貴いのであって、ただの追従者、パクリであるなら、どんなに既存の偉業に対する再現性が高かろうと、その仕事は新奇的・独創的であるとはいえないのです。

 

 オール・オア・ナッシングなのです。

 

 「オール」の評価をいただくか、それとも「ナッシング」の評価をいただくか。

 果たして、どちらが望ましいのでしょうか?

 

 

 私は、断然、「オール」のほうですね。そして、先述したように、そちらの側へ行きたいなら、最後の1ピース(最後の詰め)に注力する必要があるのであります。

 

 その努力をやってはじめて、自分の仕事というのは「完成品」になるのであります。

 

 

 これは仕事に限った話ではなく、恋愛においても同様に当て該まる原理でありましょう。

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