橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

ギャップ

 「ギャップ」というものについて、ちょっと考えてみたいと思います。

 

 それには、大きく分けると2種類のものがあるといえます。

 すなわち、「良いギャップ」と「悪いギャップ」の二つですね。

 

 まず、前者については、或る特定の人物が、(通常予測されがちな)その人のイメージを覆すような好ましい言動を取ることで、他者に対して良い印象をもたらす場合に、そう認識されることになります。

 たとえば、最近よく、“ギャップ萌え”という言葉が使われるようになったじゃないですか。

 いかつい顔の男性が、じつは笑顔がけっこう可愛らしかった、とか、不器用そうな人が、じつはピアノを弾くのが上手だった、とか、地味でおとなしそうに見える人が、じつは格闘技の達人だった、というような、意外性のある言動や個性を示した場合に、異性から好意的に受け止められるわけですね。

 

 私自身、身を以って認識できることがあるとすれば、それは、「意外に面白い」と人様から思ってもらえるということです。

 これは大変ありがたいことですし、オイシイことでもあります。

 昔、よく、東大生に間違えられることがあったんですよ。それはたぶん、話す内容が哲学的かつ論理的で、話し方も、ゆっくりとしたテンポで音を粒立てるようにして喋るからだと考えられます。

 服装や髪型のうえでも、友達から「真面目そう」、「頭良さそう」と、よく言われていました。

 

 そうすると、興味深いことに、取るに足りぬ普通の物言いが、相手からみて面白く聞こえるらしいのです(笑)。

 もうね、前後の文脈があまりにも理知的なんでね、なんか、たとえば、マヨネーズがどうのこうの…みたいなことを言っただけで、ウケちゃうんですよ(笑)。

 「ギャップ」ですよね(笑)。

 

 オイシイの一言です(笑)。

 

 これは幸いなことに、他者から「良いギャップ」だと思ってもらえたため、ウケたのでありましょう。

 

 

 一方、「悪いギャップ」のケースも、世の中にはあります。 

 

 まあ、優しそうに見えた人がじつは冷たい人だったとか、見た目はイケメンなのに中身が薄っぺらだったといったような事例をはじめとして、こっちのケースは枚挙にいとまが無いくらいでしょうけれど、今日ここでは、一つのテーマに絞って話を進めていきたいと思います。

 

 すなわち、思いのほか、下ネタが駄目である場合が、多い気がするということです。

 対象が女性のときは、とくにそうです。

 一部の例外を除き、基本的に下ネタはNGだと思っておいたほうがいいかもしれません。

 一体、なぜでしょうか?

 

 

 それは、女性の身体をオチにして笑い飛ばすような振る舞いであると考えられるからです。

 

 

 つまり、究極的なことをいえば、女性って、(生物学的にみると)オチの対象にしずらい存在なのですね。

 

 「ギャップ」演出の対象外だとお考えください。

 

 要するに、誤解を恐れずに申し上げるなら、女性は、異性を惹きつけるという意味においては、「落差」を見せる必要が無い、ってことなんですよ。

 

 なぜなら、詳しくはまた別記事にて改めて述べますけれど、「魅力」っていうのは、かいつまんでいうなら、「余裕」であると考えられるからです。

 

 

 女性は、異性から魅力的だと思ってもらううえで、努力が要らない。ただそれ自体として、「魅力」たりうる。

  女性の身体というのは、それくらい「余裕」を備えたものなのです。

 

 

 男性はなかなかそうはいきません。

 まず前提として、「余裕」を身につけるための努力をしなければなりません。

 仕事や勉学などを通じて、人間としての幅の広さを身につけなければなりません。

 したがって、人を笑わせたり女性から魅力的な男だと感じてもらったりするためには、ときには「ギャップ」(長所と短所の間の落差)を演出する必要性も生じてくるのですね。 

 

 しかし、女性はわざわざそんなことをしなくても、異性から魅力的な存在だと思ってもらえるだけの「余裕」を、もともと持っています。

 

 それゆえ、「ギャップ」を見せなくても、十分に相手をときめかせることができるのですね。

 

 

 つまり、逆にいえば、女性ってのは、それだけの“重み”を持った存在である、と考えられましょう。

 

 

 

 粗末に扱っちゃダメなんですよ。

 

 

 

 どうしてもそうしなきゃならない特段の事情がある場合ならやむを得ませんけれど、さしたる理由もなしに、女性をピエロ扱いする(ネタの対象にする)のは、生物学的には、許されないのですね。

 

 

 女性は、自分が惨めになることを、極端なまでに恐れます。

 

 

 したがって、(本人が望んでいるなら話は別だけれど)、基本的に、下ネタを言ったり言わせたりすることは、セクハラであり、モラハラであり、パワハラでもある、ということになりましょう。

 

 それは、「悪いギャップ」を女性に強要することを意味しているからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、それでね。

 たまたま、昨日、或る映画の予告動画を観ていたら、ほんの一瞬なんですけれど、衝撃的な場面を目にしたのでした。

 

 それはかなり、「ギャップ」のあるシーンでした。

 橋本環奈さん扮する戦闘民族の美少女が、白目を剥きながら鼻をほじるという、ショッキングな映像でした。

 

 この点、動画の視聴者からのコメントをみると、おおむね、好意的に受け止められているようでした。

 なかには、“女優魂”を感じた、との声もありました。

 

 

 感じ方は、人それぞれです。

 また、作り手側からみても、表現の自由憲法21条)があります。

 作品をどう作ろうと、それは作者側の自由です。

 

 しかしながら、私の感じ方はまた、別です。

 

 

 

 美少女の使い方、それで合ってます?…って。

 

 自然な流れで、あの場面に入っていけているって、本気で思ってます?…って。

 

 それ、本当に、楽しいんですか?…って。

 

 

 さっきも述べましたけれど、「悪いギャップ」を女性に演出させることは、理論上、セクハラやパワハラに相当するような、失礼な振る舞いだと、私には思えてしまいます。

 女性には、基本的に、「ギャップ」を見せる必要がありません。それゆえ、無理にオチを付けさせてまで(ピエロ役にしてまで)人目を引かなきゃならない理由はありません。

 

 これは橋本環奈さんのような美少女に限らず、女性なら誰が演じても当て該まることです。

 

 

 まあ、作り手さんの側に、原作がそうだからそれに忠実に従っただけです、と言われればそれまでなんですけれどね。

 

 

 それでも橋本さんは、見事に職務を全うなさったと思います。

 

 (私は芸能事情には疎いところがあるのですけれど)、たぶん、女優さんって、特定の作品に出る・出ない、或るいは出演する作品における個々のシーンを演じる・演じないといったことに関する自由は、(一応)あるんじゃなかろうかと思われます。

 それにも関わらず、「厳しかった」仕事を遂行したということは、彼女はきっと、その背後にあるもっと大きな何かを守ったんじゃないでしょうか。

 個々のオファーや個々のシーンごとに与えられる小さな自由を選ぶことよりも、もっと、女性として、(人として)、大切なものを守ったんじゃないでしょうか。

 だからあの場面を見事に演じきったのではないでしょうか。

 

 

 私が勝手にそう感じただけですけれどね。

 

 

 私は、なるべく物事の良い面にフォーカスを当てたい、といつも思っているにもかかわらず、ここでは、人様の作り上げた映画の、(個人的に)悪い面だと思われる部分にフォーカスを当ててしまいました。

 

 申し訳ありません。

 

 

 この映画の良い面について触れるのは、公開後の機会に譲りたいと思います。