橋本順一の哲学

芸術、科学、哲学、政治、経済、健康、恋愛、娯楽など、様々な分野において、思いついたことを綴る「ひらめきエッセイ」です。

純愛とは何か

 最近、SNSやブログ、或るいはネットのニュース記事などで、近況報告的な話題として、「本当の愛とは何かについて考えています」、というようなコメントを発する方々を、ちらほらとお見受けするようになった気がします。

 

 これは或る意味、人間にとって普遍的なテーマであり、且つ答えの見えにくい難問であるともいえましょう。

 人によって意見は様々でしょうし、同じ人でも経験や成長の度合いに応じてその中身が変化していく性質のものでもあると思われます。

 

 この点、私の考え方は、きわめてシンプルです。すなわちね。

 

 

 純愛とは、男女双方の魅力のレベルが釣り合っていることである。

 

 

 これですね。

 私は100%の運命論者なので、たとえば自分のパートナーとなる人は魅力の水準が自分と同レベルの人であり、同時に、その人はそのことを以って自分の“運命の人”である、という捉え方をすることになります。

 

 したがって、これはいわば神様が何百億年、或るいは何千億年も前から書き上げたシナリオなので、今さら人間の小ざかしいテクニックでどうこうできるものではないし、どうこうすべきものでもない、と見做すことになります。

 

 そうであるなら、蚊帳の外にいる人、或るいは魅力の不釣り合いな人が自分たちの間に立ち入ろうとしてきた場合には、(義務として)自分は二人の絆を守る必要があることになりましょう。

 

 これは、(私の感覚ですけれど)単に相手のことが好きだから相手を守りたいという理由だけにとどまらず、(生物学的な)自然界の掟に従いたいからその人のことを守りたい、ということでもあるような気がするんですよね。

 そして、それが端から見ると、いかにも「純愛」であるかのように受け止められる、ということなのではないでしょうか。

 

 ま、実際、そうなんでしょうけれど。